お告げ – 60

恐れ研究家
……その老婆は、亀石の上にちょこんと座って、ぎりぎりと音を立てて首を振った。
「こっから先は、行っちゃなんねえ……」
……この世で一番たいへんなもの、人類がなかなか克服できなくて苦しんでいるもの、
それが、「恐れ」である。
恐れゆえに、人は不幸になった。
自分と違う者を恐れて、戦争が生まれた。
私たちは、いつも、たくさんの「恐れ」に取り巻かれている。
「失恋したらどうしよう」「失業したらどうしよう」「失敗したらどうしよう」「病気になったらどうしよう」「死んでしもたらどないしよう(大阪弁で)」……
ほんとに、どうしようもない……。
まだ、なっていない先から、不安に脅えて生きている。
諺に、「恐れるものは皆来る」と言う。それは、どこか、「崩すと速い一万円札」というのと似ている。
恐い、恐いと思っていたら、そのとおり現実となっていく。
「そんなこと言うたかて、恐いもんはしようがないやないの!」
と、ヒステリックにわめく、そこのあなた。
どれどれ、ワシが未来を占のうてしんぜよう。
……む、むむむむっ! こ、これは!!!
アマゾンにしか棲息しないと云われる、アマゾンオオツノガエルの霊が取り憑いておる!
加納眞士の本を全部買いなはれ! 余計、おおごとになるさかい。
なっ、恐れてると何でも憑くやろ。
フランス文学者の芹沢光治朗さんは、「神さまは、人々に陽気暮らしがさせたいと願っている」と言う。
陽気暮らし、いつもニコニコと笑って生きる。ああ、そんな生き方、暮らしができればいいなあ。
では、どうすれば、「恐れ」から解放されて安心に暮らせるのか?
それはね、自分に起こる出来事を「不幸」だとか「不運」だと決めつけないこと、だと思う。
「不幸」は、自分で決めた瞬間から、不幸になるのではないかな。
でも、もし、それがチャレンジだとしたら……。
今のあなたに起こる事、それは、きっと、あなたに試されるチャレンジ魂。
「人間、できることしか来ない!」と、天王寺の公園にいるオッチャンは言う。
「私は、誰の挑戦でも受ける!」と、言ったのは、アントニオ猪木だった。
失恋したっていいじゃない! 失業したっていいじゃない! 失敗したっていいじゃない! 病気になっても、あっ、良くないか……。
でも、病気になって初めて、自分の健康と向き合えた人もいる。死ぬことへの恐怖で、「どう生きるか?」と真剣に考えた人もいる。
だとすれば、魂的な視点で見れば、「恐れていたもの」とは、実は、自分が次の段階に移ることへの「予感」だったりする。
さて、今、「恐れ」ているもの、あなたは幾つ在るだろう?
それが、多い人ほど、ひょっとしたら、潜在的力の解放を待っているのかもしれない。
最後に幸福屋から一言。
先日、病院の一室で、こんな会話を聞いた。一人のおばあちゃんが、向かいのベッドに新しく入ってきた女の人にこう言っていたのだ。
「ここの病院な、とっても親切。それにあの先生、男前。マスクで顔隠してはるけど、とったら、まあ、ええ男。わたし、この病院に14年おるけど、みんなええ人ばかりやで」
ワシは、それを聞いて、ふと思った。
『14年!……そんだけ居て、治れへんのか……」
ほんま、医者だけやで。病気治せんでも、文句言われへんのは!
車壊れて、修理出して、余計に壊れてみ、みんな怒るで、しまいに。