お告げ – 59

お花見研究家
やはり、と言うか、この季節、どうしてもお花見をしてしまう。
毎年、後悔して、来年はするまい、と堅く決意するのだが、桜の花がちらほらと咲き出すと、そわそわして落ち着かなくなる。そして、パッと満開になったら、もう居ても立ってもいられず、頭の中はお花見モードに咲いている。医学的には、それを「お花見体質」と呼ぶらしい。
これも哀しい日本人の血ゆえなのか……。
花見を後悔するほどの「暗い過去」があったのか? と、問われると、それだけは言えん! としか答えようがないが、場所取りをさせられた挙げ句、誰一人来なかったとしたら、あなたなら、どうする?
桜前線が近づくと、なにはともあれ、花見をしないと納まらないのが、日本人の常である。
ワシも昨日、今日と連続で花見に参加した。
桜の花が咲き誇る土手の上をずっと歩いていくと、そこかしこで青いブルーシートを敷いて、その上でお弁当や料理を拡げて、お花見に興じている人たちがいた。
おいなりさんとオニギリとお総菜の組み合わせから、お寿司や刺身、焼き鳥などを拡げたり、七輪を持ち込んで、スルメをあぶったり、簡易コンロで豚汁鍋を温めているヘビーユーザーもいる。中には、カラオケ装置を持ち込んでいるグループもった。
「花よりダンゴ」とは云うが、ダンゴなどあまり見かけない。
サクラは、サ(神)のクラ(座)である。つまり神さまの座る所という意味である。下から見上げると、花びらは、人間のために下を向いてくれている。
花吹雪が舞う中を人が陽炎のように歩いている。景色は、どこを切り取っても一枚の絵のよう。
ワシは、花見で、花も愛でるが、花見をしている人たちを観察するのが大好きである。
特に、学生や若いサラリーマンのグループを見るのが楽しい。
シートを敷いて場所取りをしている先発隊の後から、それぞれのメンバーが三々五々集まってくる。
場所取りはたいてい男の子である。ビールなどのお酒の調達も男の子の役目。だが、最近は、料理も男の子が用意するようになった。
女の子は、「ちわー」とか言って、手ぶらで来たりする。
そう言えば、『仮面ライダーカブト』でも、料理の上手な仮面ライタ゜ーが現れ始めているから、時代のなせる業か。
宴会が始まると、歌い出したり、酔っぱらったり、笑ったり、泣いたり、にぎやかになっていく。それを何気なく見ていると、知らず知らずのうちに、自分まで楽しくなってくるから不思議。
「ああ、これがサクラ効果というものか……」と変に納得したりする。
サクラの良いのは、美しく咲いて、パッと散ってしまうことだろう。
いろいろな事に執着している我々人間からすれば、なんとも潔い。
昨日のことにくよくよし、明日のことをうじうじ悩む。
きっと、皆、そんな自分を少しでも忘れたいから、桜の花を見たくなるのだろう。
確かに、桜の花の下にいると、一瞬でも浮世を忘れられる。
人は、ラクに生きたいと誰もが願う。
でも、ラクに生きている人を見たことがない。
……人生は、パッとは終われないものなあ。
最後に幸福屋から一言。
昔、僕の友人は、花見で酔いつぶれて気が付いたら、全然知らない人たちの中で寝ていたという。
また、トイレに入ったまま、途中で眠ってしまった女の子もいた。
それが、みんな良いお父さん、お母さんになって、きっと、その子ども達は、今頃、サクラの花の下で酔いつぶれたりしているのだろう。
ああ、すべてのラセンに乾杯!