お告げ – 56

別れ方研究家
テレビシリーズ、『STAR TREK DEEP SPACE 9』のエピソードの中にこんな場面がある。
ある男女が、宇宙のリゾート地のような惑星ラスカに向かうのだが、彼らにはある秘密があった。
二人は、惑星ラスカで、それぞれ思い思いに楽しいひとときを過ごす。二人で、愛し合い、楽しい食事をし、
今まで、一緒にいて楽しかった出来事を思いだしては、語り合うのである。
そして、最後に、互いの、これからの人生に幸福を、と祈り合って乾杯し、別れるのだ。
それは、聖なる別れの儀式、である。
ああ、素敵だなあ、と思う。……現実には、ないからだが。
人生に、さまざまな「出逢い」があるように、いろいろな「別れ」もある。
出逢いは嬉しかったり、胸がときめいたりするが、別れは、たいてい悲しみに沈んだり、心が寂しくなったり、時には、憎しみの気持ちが残ったりする。
見ている限り、また、自分の経験した限り、楽しかった別れはなかったように思う。
それは、今の人類がまだ「愛」を理解していないせいだ。
相手の「感情」に振り回され、自分の「感情」に負けてきたからだ。
私たちは、「別れ方」が、とてもヘタである。
恋人や伴侶と別れるとき、親友と決別するとき、好きだった人と離れる時、愛した人を亡くした時、心から血を流し続ける。
その「痛み」に耐えきれなくて、自分を虐めたりしてしまう。
時には、怒鳴ったり、恨んだり、わあわあ泣いたり、未練がましく追いかけたり、「別れないで!」と拝み倒したり、「今までありがとう」とカッコをつけてみたり……、
ほんとにジタバタしてしまう。
それは、それで人間らしくていいじゃないか! とも思うし、とも思えなかったりする。
「純粋」であることが「誠実さ」や「思慮深さ」ではないように、「本音」を出すことが、いつも良いことだとも思えない。
また、相手の事が、好きでもなんでもなく、むしろ嫌いになったとしても、別れは決してラクではない。
そういう相手を好きになった自分に後悔したりする。
気がついたら、別れていた、というのもある。
なんとなく自然消滅してしまった関係。傷つきもせず、人も傷つけず、で一番良いのかもしれないけれど……。
でも、本当に「好きだったの」「付き合っていたの」かな?、と思う。相手ではなく、互いに自分しか見なかっただけなのでは……と。
美しい出逢いはあるのに、美しい別れがないことが残念だ。
「きれいに別れよ」と言っているのではない。
相手を真剣に愛し、恋した分だけ、別れなければならない時の「痛み」は大きい。
とても、きれい事ではすまされない。
だけど、「別れ」を辛くしているのは、ほとんど自分の感情なのだ。
自分をもてあます、「心」なのだ。
出逢いは、それがどのような出逢いであっても、必ず「意味」がある。
何かの「学び」がある。
それを導いてくれた相手に(対象が人間じゃない場合、例えば、仕事や習い事を含めて)、自分が出逢えたことに、
「感謝」しなければ、出逢えた意味が半減してしまう。感謝できた時、そこに「和解」が生まれる。
人生に、無駄だったことは、何一つない。
今は、「痛くて辛い」かもしれない。
本当は、別れたくて、別れたわけでもなかったりするから。
でも、今、離れなければ、自分に甘えて、相手に甘えて、自分がダメになってしまう、そんな予感からの別れもある。
多くの「別れ」は、じつは、出逢い以上に「意味」や「学び」を含んでいる。
出逢えた相手を見て、また、別れた相手を見て、自分の「位置」を確認することもある。
一度別れた相手と、別な出逢いをすることもある。
本当に愛し合った仲だから、互いの「良いところ」も「弱いところ」もよく知っている。
「良い」別れ方をすれば、互いに、次にもっと良い出逢いに恵まれる。
言葉は要らない。握手もしなくていい。ただ、無言で「祈る」といい。
最後に、幸福屋から一言。
ずっと前から、去年の二月くらいかな。時折、呼吸ができなくなって苦しんでいた。
鍼の名医、K先生に診てもらっても、よくわからない。身体のどこにも異常がないよと言われる。脈を診てもらっても、酸素は身体中に行き渡っているからと。
きっと、肩や首が凝っているから、呼吸が浅くなるのだよ、と。胸の横隔膜は、首と繋がっているという。
ふと思った。呼吸が出来なくなっているから、首が凝ってきたのでは、と。その途端、また、苦しくなった。
普段、人と話している時や、食事をしている時、まったくなんともないのに、「ちゃんと呼吸できているな」と思った瞬間から、呼吸困難に陥ってしまう。
あるときは、眠れなくて、朝まで起きていたこともあった。僕は別に眠らなくても平気なので、そういう時は起きていることにしているから平気だったが。
更年期障害やパニック障害かと疑った時もあった。
だけど、あるとき、ひょんな事から、その原因に気づいた。
胸に「気」が詰まっていたのだ。
……その「気」の正体は、「悲しみ」だった。
そう言えば、人は悲しいと、胎児のように丸くなって、肺が縮んでしまう。悲しみから、肺ガンになった人もいる。
思えば、いろいろな悲しみを経験したきた。昔も、今も。
ああ、建築家のOさんが亡くなって一周忌になる。
好きだった人の事を想うと、今も胸が苦しくなったりする。耐え難い喪失感……。
イヌ好きとネコ好きがおりますが、ネコの方が別れはあっさりしていそうでんな。
……ネコはええなあ。プイと家を飛び出て、また、気が変わったら、戻ってきたりするから。
まあ、ネコにも不器用なのはいてまっしゃろなー……。