お告げ – 55

出愛(逢い)研究家

「こんな苦しい想いをするのなら、出逢わなければ良かった……」
「……もっと前に、せめて半年早く出逢っていたなら……」
「なんで、こんな人と出会ってしまったのだろう。いったい自分の何が間違っていたのだろうか?」

世の中には、さまざまな出逢いがある。
ああ、出逢って良かった! と歓喜に満ちている人もいれば、出逢わなきゃ良かった……、と深く後悔している人もいる。
もっとも、始めは喜んでいても、後で後悔に変わる出逢いもあるけれど。

いつも思うことなのだけど、結局、この世界には二つの性しか存在しない(あっ、中間のもいました!)。
だから、意識的にも、無意識的にも、互いに相手を求め、そして、運命的に、必然的に、出逢っていく。
もちろん、出会いがすべて「恋愛」的になるわけではない。最初から、気の合う友人として、友情を育くんでいくものもあれば、逢った時から不愉快で、敵同士のように嫌いあう不幸な出逢いもある。

できれば、自分にとって楽しい出会いだけ在ればいいのだけど、なかなかそうはいかない処が人生の「妙」のような気もする。

出会いには、じつにさまざまな秘密が隠されている。
たとえば、出逢った事で、自分を“良く”変えようと思える相手もいる。上質な恋がそうだ。
また、その人と会ったことで、自分の中に隠されていた能力や才能が開花していくこともある。それは、人とは限らない。就職や習い事、スポーツなども。
美術館の一枚の絵画、偶然手に取った本、ふと流れてきた曲、それがきっかけとなって、人生に新しい転機が起きることもある。
かつてのシュリーマンは、寝物語に聞いた、おとぎ話のはずだった「ホメロス」を信じて、トロイを発見した。

出逢い……、それは、未知なる自分への冒険である。
たとえ、その出会いがどれほどの苦痛を自分に強いようとも……。
「へえーっ、自分にこんなことができたんだ……」
「あの人といると、自分の心がきれいになっていけるの……」
「私が今、こうしてあるのは、その人のお陰です!」
「神さま、苦しいのです。どうして、私とあの人は出逢ってしまったのですか?」
「あなたと出逢わなければ、私は今の自分の生活に満足していたのに……」

意味のない出会いはない。偶然の出逢いもない。まして、時期のずれた出逢いもない。
その日、その時、出逢うべくして、出逢っている。

「宇宙は、万に一つの狂いなし」
僕は、昔、教えてもらったこの言葉をずっと信じている。
それが「真理」だと直観できたから。
もちろん、苦しいことは山ほどあったけれど……。

そして、出逢いが必然ならば、「別れ」もまた必然である。
失恋、別離、死……、卒業、転職……。

そうして、次の出逢いと巡り会う。別れがなければ、次の出逢いもない。
でも、時には、相撲の仕切直しのように、同じ相手と再会することもある。
宇宙はラセン状に動いているから。
その時、以前とは違う「行動」や「思考」を取らないと、また同じ轍にはまり込む。
だから、「きちんと学ぶ」ことができないと、相手が違っても、自分が同じ行動を取ってしまう。
 
克服できない事は、形を変えて何度でも現れる。
それが、宇宙の法則であり、自分に与えられた「課題」だから。


人は、未来が見えないから苦しむ。けれど、どんな出逢いにも、「きっと意味がある」、「すべては良くなる」と信じてみてほしい。
それは、自分が「生まれてきた」ことへの“信頼”でもあるのだから。
 
……出逢い、それは、出愛かもしれない。


最後に、幸福屋から一言。
ワシ告白しちゃいます。
いつも後悔している出逢いがあることを。
それはなあ、時折、夜に、むしょうにインスタントのカップ焼きそばが食べたくなる時があるのよ。
それでな、コンビニに走っていって、食べてしまうのだけれど、必ず、かなーらず、と言っていいほどね、

「ああ、食べなきゃよかった……」としみじみと後悔するのよ。後味の悪いこと……。
 
ワシ、学習能力ないです。すんません。