お告げ – 54

自己愛研究家
どうか、自分を大切にしてほしい。
自分自身を尊んでほしい。
そう祈りたくなるような人がいる。
傷ついて、ボロボロになって、いっぱい苦しんで……。
あるいは、人の事を激しく憎んで、恨んでいたり、呪っていたり……。
もう、そんなに苦しまないで、と思う。
自分の身体も心も、もちろん魂も、とても貴いものだから。
でも、その人は、「私は、自分を大事にする仕方がわからないの……慣れてないから」と言う。
簡単じゃないの! 自分を愛すればいいのだから、と言いたいけれど。
……でも、本当はそんなに簡単じゃない……。
自分を嫌いな人のなんと多いことか。
自分を愛することは、自己チューとは違う。
自己チューの人で、自分の身体や心や魂を汚している人は大勢いる。
自分を愛することは、じつはとても難しいことの一つだと思う。
それは、自分と「和する」こと。
そして、それは「感謝する」という事だから。
「今、ある自分」に感謝することだから。
それが、できるだろうか?
たとえば、今、人との関係や、生活の環境や、病気などで苦しい状況にある人が、今の状況を含めて、すべてに感謝することができるだろうか?
それができる人は、すでに自分自身を尊んでいるよね。
「感謝する」ためには、「自分と向き合う」事が要求される。
人を許さなければならない。
向き合うと、「弱い」、「卑怯な」自分と出会ってしまう。
そんな自分も許さなければならない。
そのイヤな自分と出会って、なおもその自分を抱きしめてあげてほしい。
なぜなら、その自分も、あなたの一部なのだから。
僕は今、あなたの一部、と確かにそう言った。
それは、あなたが本当の自分を見えていないから、そう言うのだ。
イヤな自分は、大きいように見えて、じつはとても小さい。
大きな存在の「あなた」のほんの一部にすぎない。
自分の良さは、自分じゃなかなか見えない。
だから、人は他人と関わっていく。
たとえ孤独を選んでも、人を好きになったりしてしまう。
そうして、自分の良さを第三者を通して「確認」していき、少しずつ自分に対する「偏見」を取っていく。
では、その第三者が、自分の「イヤな部分」ばかりを見ていたら、どうすればいいのか?
確かめて欲しい。
あなたは、人の良さを一つも見て来なかったのか?
もし、幾つか、一つでも見てきたのなら、あなたも人から、「良いところ」を見られて、そして、愛されてきたのだ。
自分で思っているほど、あなたは「イヤ」でも、「ダメ」でもないよ。
もし、あなたが自分でも「イヤだ」と思っていることを口にしてしまって、それを注意してくれる人がいたなら、その人は、あなたを愛してくれている、とそう思う。
ならば、あなたも自分で、自分のことを愛して、尊んであげてほしい。
「感謝していると、感謝すべき状況が現れる」と言った人もいるから。
それは、真理だ、と思う。
最後に、幸福屋から一言。
えーっ、では。
「人のフケ見て、我がフケなおせ」
それは、もう、えーちゅうねん。
あっ、さようでっか。
しかし、なんでんなあ。
世の中には、「あんたのそういう処が嫌いや!」と言うと、
「ほっといて! あたいは、自分のそういう処が好きやねん!」という小憎らしい輩がおりまんなあ。
……ワテもその一人でっけど。