お告げ – 52

年越し研究家

ああ、2005年最後の日が暮れる。
その日、ワシは奈良県の明日香村で、燃えるように赤い夕焼け雲を眺めながら、黒く影のように沈んだ石舞台の前にたたずみ考えにふけっていた。
今年もいろんな事があったニャア、と。

自分の身の周りにも、近しい人たちの身の周りにも。
大切な友人を亡くし、海外にも久しぶりに出かけた。
ずっと憧れていた、屋久島の縄文杉にも出逢えた。
旅で出会った、素敵な人たち。
新しい道、新しい光に、戸惑ったり、驚いたり……。
まるで、長かった「繭」の時代から抜け出たように。

「微食」にしてから、体調は良いままである。
カゼを引きそうになっても、小さく過ぎこすことができるようになった。
以前のワシなら簡単に寝込んでいたのに。
 
かつてのワシは、化学物質や食品添加物に敏感なあまり、「虚弱体質」になっていた。 
人混みに入っては、その毒気に当たって倒れそうになり、服や肌に染みつくタバコの煙に泣いていた。
 
けれど、人は変わる、変えられる。
特に微食にしてからは、「栄養」とか、「安全」にもそれほどこだわらなくなった。
足りない分は、光と水のエネルギーが補ってくれる、と。(ウルトラセブンかワシは!)
そして、それを信じられるだけの実証と自覚も、自分の身体で実感できるようになった。

けれど、心はそう簡単にはいかない。
特に意識の「進化」は、難しい。
 
人の中の「闇」に気づいて嘆きながら、自分の中の「闇」にはなかなか気づけなかったりする。
いつも陽気で、朗らかに、人には平気で言うのに、自分はどうか?
ワシの顔は、微笑んでいるか? それとも、……。

「人のフケ見て、我がフケ治せ」
あっ、それはもういいか!
 
人は、自分の事には気づけない。
だから、出逢う人の中に「自分」を見るのだ。
相手の中に、「イヤな」部分を見たのなら、どこかで自分にも通じるものがあるのである。
その反対もしかり。
人の中に「良いところ」を見て感動したなら、自分の中にも「そうなれる」要素が眠っているのだ。

ならば、脆弱(ぜいじゃく)な自分を越え、克服するには?
自分の「弱点」を素直に見つめ、もしも、それを指摘してくれる人がいたのなら、「恐怖」で排撃するのではなく、「感謝」でそれを迎えたい。
なぜなら、相手は、「辛いこと」を言う、辛い役目を買って出てくれているのだから。
そんな人がどこにいる?

もし、あなたの周りにそんな人が何人もいるならば、あなたは安心していい。あなたは愛されているから。
気の毒なのは、誰も言ってくれる人がいない人である。

大晦日は、心のお掃除の日。
最後の夜をどう迎えるか、で、新年は変わってくる。
今年出逢った人の顔を思い浮かべて、一人一人に感謝の想いを送れるなら、あなたの来年は、きっと輝くはず!

さあ、行く年、来る年、そばは喰ったか? お屠蘇の用意はしたか? 歯は磨いたか?
ああ、カウントダウンの夜は更ける……。



★天晴れ男の新商売
28日に、仙台に、とある忘年会に行ってまいりました。仙台は、前々日まで大雪だったらしい。ところが、僕の行く日は相変わらずの日本晴れ。しかも、あったかく、道路も混まず、とウソのよう、だとか。みんな、僕が去ったら、また大雪が来るのでは? と恐れたが、実際にその通りになったらしい。そう言えば、九州大分に行ったときも、僕が帰ってから記録的な大雪になった。ニューヨークでも晴れていたし、帰ったら、関東以外は日本国中、大雪だった。イタリアでも、屋久島でも。僕って、いったい何? こういうので、「商売」できないかしら、と真剣に思ってしまう。人は言う。「加納さんが帰ったら、天気が荒れるから用心しなくては」と。けれど、僕がいなくなったら、天気が崩れるのではなくて、僕が居たから、崩れるはずの天気がその間、良くなっていたのだとしたら……。
泊めていただいた温泉の露天風呂は、海が見える温泉。朝6時50分頃に海からの日の出が拝めるというので、泊まり客たちは、お湯に揺られながら待っていた。一足早い、初日の出、朝日に金色に輝くお湯の中、僕は、祈らずにはいられなかった。