お告げ – 51

執着研究家 

【チャンカ、チャンカ、チャンカ、チャンカ……上方落語のお囃子調で】

えーっ、なんですな。
最近、世の中は、いろいろと物騒な様子になって参りましたな。
ちょっと近所に行くにも、腕に黄色い腕章巻いて出な、ならん。
まあ、とかく、人の「想い」というもんは、あんまり強すぎると、「重い」ちゅうて、ヘビーになってしまいますわな。

で、今日は、人間の「執着」ちゅうもんにスポットを当ててみよしょか、と、まあ、こう思うとるんですわ。
……いきなり、ボケかましそうになりますが、これは、電車大好きな鉄道マニアによる「終着駅」の研究ではありませんよって、そのつもりで。
まあ、なんですな。結婚式の時に、祝電を打って、「これは、祝電であって、オデンではありません」とメッセージを送る日本の美しい習慣と似ておりますが……。

さて、「執着」は、やっかいでんな。
男と女、男と男、女と女、親と子供、じじとばば、オカマとオカマ、犬と猫、財産や地位や漬け物石、とにかく、ありとあらゆる関係に、「執着」は生まれます。
けど、特に、男と女の「執着」は、ややこしい。
昔は、男の人のストーカー的な行為が問題になりましたが、現在では、女の人も結構怖かったりしますな。まだまだ、社会では、「チカン防止用列車」なんかが登場してて、「女性は弱いもんや」と決めてかかっておりますが、なかなかどうして。アメリカ映画なんかでも、本当に怖い真犯人は女性だったりするわけですな。 

恋も、片思い、とか、淡い初恋、とか、始まりはきれいなもんやけど、だんだんと関係がややこしいこじれていったり、相手に自分の想いが通じんかったりすると、その人の中で、

「想い」が一人歩きし始めるんですな。片思いのはずが、いつの間にか、本人の中では「両想い」になっていたりして、余計ややこしゅうなるんですな。
 
こうなると、やっかいでんな。
何が、やっかいかと申しますと、本人はいたって「まじめ」。自分の「想い」は崇高で、「よこしまな」ものは微塵もない、と思いこんでおります。そのうえ、相手の真の「幸せ」を願っているんやから、自分の想いは正しい。それを受け入れられんのは、相手の心にこそ、何か障害があるんだと、考え始める。
 
時には、自分だけが、その人の「真の幸い」を祈っているのだ、周りの人は何もわかってはいないんだ、と激しく感情的に思い詰めたりする人もおりまんなあ。

また、自分が執着しているなんてとんでもない! 自分こそ、相手から「執着」されて、精神的にも肉体的にも苦痛を感じているのに! と、本気で信じ込んでしまい、周囲の人に、必死で「迷惑さ」を訴える人もいたりします。
こうなると、かなわんのは、周囲の人でんなあ。何しろ、相手の口調は真剣そのものやさかい、時には、涙ながらに訴えてきたりするものですから、つい同情してしまったりするわけです。そいで、そうか、あいつはそんな「酷い」奴やったんかい、と。
けど、人間、そうアホやありまへんから、時間が経つと、「ほんまは違うんとちゃうか?」と冷静にさめて考えたりするわけですな。

いやいや、ほんまは、「執着」している本人が、誰よりも一番苦しいもんなんですわ。
どっかで、心はそれをわかっとる。魂の段階では、「こんなはずちゃうのんに?」と、嘆いてたりしてます。
 
まあ、結論づけて言うたらなんやけど、「執着」は、「愛」とは違います。
「愛」は、いつも相手を解放し、真に成長させまんのや。


「いや、わたしのは執着と違います。まっさらのタコ焼きのような愛でおます」と言う人は、自分が相手を所有したいと考えたり、相手からも「想い」を欲しいと願ったり、声が聞けんと寂しい、とか思うてへんか胸に手え当ててみなはれ。
「あんたは、俺のは愛や、愛や、言うて、愛の大安売りするけど、ほたらなんであんたの愛は重いんよ。なんで、あたしが縛られているような気になるんよ」
こう相手から思われたら、そらもう立派な「執着」ですわ。

人がいつも、ほんまに求めてんのは、「愛」なんやけどなあ。
「与えっぱなしの愛」だけが、人をラクにさせるんとちゃうかなあ。

けどなあ、「人の執着」はよう見えても、「自分の執着」は見えにくいもんでっさかい、自分が何に執着しているか、みんな気いつけはったら、よろしなあ。
「恋愛」の形に見えたりしてるものも、ほんまはどっか、幼い時のトラウマから来てたりしているんかもしれまへん。
言うてる、わたいも「お金」に執着してる大阪商人の過去の自分がいたりして、さっぱりわややわ!

もう2005年もあとちょっとで終わりや。
大晦日には、静かに祈って、心の大掃除、みんなでしまひょなあ。
来年は、くるっと一皮剥けた、ええ顔で逢えますように……。


最後に幸福屋はんからも一言、なんか言うたってえな。
 
昔、ワシが広告の仕事をしている時、Kという洗剤の会社を担当したことがあった。
その会社では、Mという名の「フケとカユミを取る」シャンプーが有名だった。
そこでワシは、考えてきたコピーを得意そうに発表した。
なにしろ、ワシは、その広告会社のクリエーター募集で、600人にただ一人合格した男だったから、みんなのワシに対する期待は膨れ上がっていたにちがいない。

「人のフケ見て、我がフケ治せ」
みんなシーン!として。その後、何事もなかったように会議は進行して……。 
ワシ、あの時の恐怖、今でも、夢に見ます。