お告げ – 48

恋愛研究家    


「あたし、すぐ人を好きになっちゃう。でも、その人が自分の事を好きになってくれると嬉しいんだけれど、同時に、前ほど好きな感情が薄れていくの。どうしてなんだろう。
なぜ、人は、その瞬間の“好き”だけじゃダメなんだろう……」
彼女は、そう言ってカウンターの向こうの壁にはめこまれた水槽を見やった。
水の中で妖しいライトを浴びながら、半透明のクラゲが上を下へと宇宙船のように揺れていた。
『ふっ、危険な女だ』、と俺はグリコのビスコを囓りながら思った。
ブランデーグラスの中のカルーアミルクとバニラのソフトクリームが掌の温度で溶けて、微妙に混ざっていく。
『こんな女には、“怨霊退散”のお札も効果がないかもしれん』
俺は、自分の用心の無さを悔やんだ。
「で、今、何が食べたいんだい?」
なんという月並みなセリフだ、と歯がみしながら、俺は彼女に聞いた。
「永谷園のチョコ茶漬け」
クラッと来た。
その奔放な答えに、俺は間違いなく危険な恋の予兆を感じていた……。

「恋とは、この世でもっとも美しい病いである」、と言った詩人がいる。 
しかし、世界の不幸は、「所有したい」という欲から生まれた、と言う人もいる。

人は、恋をすると相手を所有したくなる。

「所有」という言葉は抵抗があるかもしれないが、相手のことをもっと知りたくなるのも所有の変形のように思う。
「自分は、ただ相手をよく理解したいだけ」とは、相手にも自分を理解して欲しいから、なのかもしれない。
所有欲は、自分自身にも相手にも「執着」を生んで、互いに苦しくなっていく。
自分がこれだけ好きなのだから、相手にも、とつい望んでしまう。
そこから、微妙なズレが生まれる。

人は人、自分は自分なのに。
恋をすると、その区別が付きにくくなる。
なぜなら、恋する心は、自分自身でどうにもコントロールが効かないから。
……すべての人がそうだとは言い切れないけれど。

 
恋の解決は、いつも二通りしかない。
結ばれるか、別れるか、である。
だから、「片思い」は、永遠の恋なのだ、と詩人は言う。

最近は、“ソウルメイト”や“ツインソウル”という言葉が横行している。
「私とあの人は、きっとソウルメイト、ううん、ツインソウルかも。だって、これほど気が合うんだもの!」

確かに、この地上で出逢う人たちは、皆、過去世で「御縁」のあった人たち。だから、ある意味で魂の友達、ソウルメイトなのかもしれない。
だが、本当のソウルメイトやツインソウルとは、人が言うロマンティックなものではなくて、「魂の進化」に関わる、もっと厳しい関係なのだと思う。

時には、とても恋愛の対象どころではなく、自分の人生に波風を立てるだけの場合もあったりするのではないか。
あるいは、最初から結ばれない運命的な出逢いとして。
少なくとも、甘えあい、慰め合う関係は、ツインソウルではないように思う。
例えば、恋愛や結婚をして、互いに魂を刺激し合って、尊敬し合い、伸びていく人たちもいれば、互いの欠点を見つけ合い、傷つけ合う関係を作る人たちもいる。

それでも、その人と出逢ったことで、自分は確実に別の方向に「進む」ことがあり得るのだとしたら……。

転生の度に、ソウルメイトと人はどこかで出逢う。

最高のツインソウルとは、宇宙的な愛の中で、どこまでも互いを尊敬し合う関係から生まれる「覚醒」なのではないか。
僕もそんな人を知っている。今は、とても遠い意識の中、僕に、「祈り」の本当の凄さを教えてくれた存在。


僕が人を好きになるのをためらうのは、たぶん、「恋」よりも「愛」が欲しいからなのだ、と思う。
愛は、いつも人を「解放」する。
相手の幸せを自分の幸せのように「祈る」、それが、「愛」なのだと思う。
たとえ、それが自分ではなく、別の人や別の道を選んだとしても。

人の生は、宇宙から見れば一瞬の輝き。
愛だけが、時空を超える。


最後に幸福屋から一言。
「あんたのは、ただの八方美人や!」と、よく言われる。確かに、ワシは「八宝菜」は好きや!
けど、自分が所有されたくないから、相手も所有しないだけなのに、それじゃあ、アカンのか?
しかし、ワシの恋の相手が、アニメや特撮物の「ヒロイン」が多いのは何故だろう?