お告げ – 47

温泉研究家 しょの弐
……うーむ、やはり食べきれぬ!
和テーブルの上に乗っている料理を眺めながら、男は思わずため息をついた。
とーっても新鮮そうな鯛とイカの刺身、ハマチの姿造り、取れたての天然の鮎の塩焼き、牡蠣のハルマキ風揚げ物、椎茸、銀杏、白身魚も入った具だくさんの茶碗蒸し、うどんと椎茸と蛤と秋の野菜の小鍋、もずくとタコの酢の物、柿をくり抜いた中に貝の佃煮のような詰め物、季節の五目炊き込みご飯と赤だしのみそ汁と香の物……。
誰がどう見ても豪華な食事であることにちがいない。
だが、箸の付いていない食事の方が多い。
昨夜は、牛肉を入れたすき焼き風鍋が付いていた。他に鶏肉のごぼう巻きや豚肉の甘露煮などもあった。
しかし、まだ手を付けていないうちから、「すいません、お肉食べられないので……」と断った。
「ええっ? そうですかあ、ほな」と接客係りの女性が皿を下げた。変に、驚いた顔が印象的だった。
おそらくその旅館では、「肉、食べられないので……」と断った客は、元禄時代から見たことがなかったにちがいない。
厨房から、「あそこのお客さんなあ、肉、嫌いやねんて……」、「へえ、変わってんな」と、ささやき合う声が聞こえたような気がした。
それで、今日の夕食は、肉が無くなった分、魚のオンパレードになったのだろう。
じつは、男は肉だけでなく、魚も苦手だった。食べられない、というほどではなかったが、活きの良い刺身よりは、日にたっぷりと干した干魚の方が好きだった。
何よりも、度重なる温泉(もとを取ろうとつい入りすぎてしまい)のせいでぐったりとなった男の胃腸には、和テーブル一杯に並んだご馳走は、きつかった。
昼間、山伏が歩くような山道を歩いて、旅館に戻ってから、熱い温泉に浸かった。このあたりは単純泉だが、源泉らしく温度が高い。それで、加水して温度を下げているらしい。
お湯はどこまでも透明で素晴らしく、体の中にじわじわと効いてくる、そんな温泉だった。開け放たれた窓から、まだ紅葉もほとんどない緑濃い森と清流のせせらぎが見えた。
しかし、事情も告げずに今日もほとんど食べなかったのでは、ただの好き嫌いの激しい客にしか見えないではないか!
「じつは、生魚も川魚もあまり得意ではなく、できれば、野菜中心で、おじやみたいな物か、ご飯に鰹節をかけたニャンコメシでも良いのだけれど……」と言えば良かったと、男は後悔していた。
その日の朝、めったに食べない朝食も、せっかく出していただいたのだからと、男は食べた。
ご飯にみそ汁、香の物、海苔、オムレツ、アジの干物、野菜煮、季節の果物。結構おいしかった。お腹一杯になった。もちろん、半分くらい食べた。ご飯はお代わりもしていない。
お膳を下げに来た仲居さんに言った。
「夕食、このくらいで十分なんですが……」
仲居さんは、「まあ、ご冗談を」と笑いながらも、「ちゃんとお金頂いてますから」ときっぱりと言った。
「うちはなあ、そんなケチくさい旅館とちゃうんや!」仲居さんはきっと、心の中でつぶやいていたにちがいない、男はそう思った。
で、今夜のこの豪華な食事のオンパレードになったのである。
お昼は何も食べなかった。というより、「微食推進実行委員会」の男は、もともと要らないのである。しかも、その日の朝はしっかりと朝食を摂っている。できれば、朝と同じくらいか、もっと少なくてもいいなと思っていただけに、夕食のご馳走はヘビーこの上ない。
昨日は、「じつはお昼にいっぱい食べてしまったので……」と誤魔化したが、今日はそうもいくまい。
料理には一つ一つ、工夫を凝らした後が伺えた。「これでどうじゃい!」という板長の気概のようなものが感じられた。
「もし、今日もあまり食べなかったら、ワシどうなるんやろ……」
「おのれー、田舎の旅館やと思うて舐めくさって!」
包丁を振り回して怒り狂う板長の幻が見えたような気がした。
テレビの旅番組は一週間の内に十日以上もあるような気がする。
毎日、どこかの番組で旅の案内をしている。
それも、ほとんどは、「どこでおいしいものが食べられるのか?」というグルメ志向のものが多い。
「温泉巡りの旅」もその例に漏れない。テレビ東京にタレントの夫婦や一家が、温泉宿を回っていく旅番組があるが、そこでは、露天風呂の情緒ある風情が流され、その後、お約束のように、手の込んだ豪華な温泉旅館のおもてなし料理の紹介となる。
そして、ほとんどすべてのタレントが、「うーん、まったりとしていて、そのくせ、鮮烈ですね」とか、「口の中でしゅわしゅわしゅわーと溶けていくみたい」と、同じようなボキャプラリーで褒め称える、というのがパターンになっている。
さすがにテレビに取り上げてもらえるということで、「これでもか!」というくらい、どこの温泉宿も料理に気合いが入っている。
それをタレントはさもおいしそうに平らげていく。
ワシに言わせれば、「こんな高タンパク、高カロリーのものを温泉で疲れた胃腸に入れたら、大変でっせ!」と思うのだが、お茶の間で見ている多くの人たちは、「あら、いいわねえ」と羨ましい気持ちになるのだろう。
どこの番組も、どこの温泉宿やホテルもハンコで押したように、「豪勢な食事」が売り物になってしまっている。
これを「巧妙な闇の罠」だと、いったいどのくらいの人が気づいているのだろう……? たまには、温泉宿から美しい女将が出てきて、「あら、うちは温泉自体がご馳走ですもの、お食事の方は、美味しい物をほんの少しだけにしてありますのよ、オホホホホホ」と言ってもらいたいと思うのはワシだけだろうか。
最後に幸福屋から一言。インターネットで「源泉のある温泉宿と精進料理」とか、「猫マンマの温泉プラン」とか、「一汁一菜の宿」とか探しても、ほとんど見あたらない。
広告でも、「この秋、温泉旅行は、質素な食事で熱々デートに決まり!」というものがあれば、と思うのだが、どうでっしゃっろ? 皆さんも、豪華な食事派どすか?