お告げ – 45

温泉研究家
……その男は、温泉が好きだった。
中でも露天の温泉が異様に好きだった。
よく晴れた日の明るいうちから入るのも好きだったが、
雨のしとしと降る夜に、首まで浸かりながら、落ちてくる冷たい水滴を仰ぎ見るようにしているのも好きだった。
また、混浴も好きだった。女の裸を見たいからではない。自分の裸を人に見せびらかすのが好きなだけである。男は、いつも自分しか見ていなかった。
朝は湯に浸かって昇ってくる太陽を拝み、昼には森から水面に響く鳥の鳴く声を聞き、月夜に、湯の中に浮かんで身体いっぱいに月のオーラエネルギーを浴びた。
男は、温泉好きだけあって、温泉には、ちょっとうるさい。
と言っても、お風呂の中でブツブツと独り言を言うのではない。それでは、「温泉でうるさい」だけである。
あるいは、「拙者、天井裏より、この城の者達が恐ろしい話をするのを聞いてしまったのでござる」と報告を受け、「うーむ、やはりあの城には恐ろしい秘密が隠されていたか……。して、そのほう、いったい何を聞いたのじゃ?」と家老が聞くと、「じつは、みんなで“怪談”を順番に話していたのでござる。拙者は、もう怖くて怖くて……」という忍者と家老のボケとツッコミになってしまう。
男のうるさいのは、この温泉は循環式なのか、源泉カケ流しか、カルキ臭くはないか、ツムラの温泉の素でも入れてはいないか?、ちゃんと掃除は行き届いているか? と、チェックすることだった。温泉宿にはちょっと嫌な客であった。
だが、男が声には出さないが、一番文句を付けたかったのは、じつは温泉宿で出てくる食事だった。
山海の珍味、生きの良い刺身、脂ののった和牛のステーキ、踊る温泉女将、などが特に許せなかった。
なぜか?
ヘビィだったからである。温泉で疲れの出た身体や心には、高タンパク、高カロリーの食事、踊る女将は、拷問に近い。
男は、本当の温泉の安らぎを求め、今日も全国を彷徨うのだった。
……多くの人は、温泉で疲れがとれる、と思っている。
だが、実際には少し違う。温泉は人の潜在的な、表面に出ていなかった「疲れ」や、体の芯や関節に溜まっていた「澱み」を身体に浮かび上がらせる。言い方を変えれば、「疲れ」を
身体に出す、のである。そして、そのまま泥のように眠って、起きたら、爽快になっている。自覚された「疲れ」が、寝ることで、外に出ていくのだ。
ちょうど、身体の毒素を出すという「砂療法」で、半日、海辺の砂浜に入っていて、夜、寝ると、ホテルの部屋がものすごい毒素の臭気で充満しているのと似ている。
身体に「疲れ」が出る、ということは、内臓も当然疲れている。胃や腸も肝臓も腎臓も、バテバテである。なのに、温泉宿は、これでもかというくらい豪華な食事を出してくる。それも普段でも食べないようなご馳走を。温泉で疲れた内臓に、そんなもの消化できるはずもない。だから、翌日の朝は、顔がむくんだり、重かったり、だるかったりするのだ。
どうして、精進料理のような、例えば、澄んだ山の水を一杯。軽く盛ったご飯に、山芋のトロロとごま塩をかけ、野菜の煮物を一品か二品、お味噌汁と香の物を少し、デザートには、葛のゼリー。そんな食事が出ないものだろうか? 本当なら、何も食べなくても良いくらいなのだ。もっとも、それでは、宿代が稼げないから、豪華な舟盛りなどにするのだろうが……。
僕だったら、温泉では、一汁一菜か、玄米粥に梅干しなんかがありがたい。それでも、十分に贅沢だから。
たいてい、今の世の中は、間違った思いこみをしているように思う。
先日も、友人から電話で、「お仕事始めたのですが、慣れないのと毎日立ちっぱなしなのに、疲れました。身体が異様にだるいのです」と相談を受けた。状況を聞いてみると、朝から夜遅くまで働いていて、疲れも自覚して、これではいけないとご飯をたっぷりと食べたらしい。
僕はピンときた。そして、「食べなければ大丈夫だったのに……」と言った。そして、温泉のような話を説明すると、「そうかあ……。疲れに打ち勝つために、しっかり食べなければいけないと思ったのが、根本的に間違っていたのか! そうですね。すでに胃腸自体が疲れているのに、食べ過ぎたら、逆効果ですよね。ちょっと考えればわかるのに、何故かな?」と考え込んだ。
「……それが、過食を勧めて、人類をアホ化させる闇の罠だよ」
僕は心の中でそっとつぶやいていた。
だから、僕は体調が少しでもおかしいな、疲れが溜まったかな、と感じると、すぐに「絶食」を始める。丸一日か二日、水だけ飲んで何も食べなければ、それでたいがい元気になる。普通では逆だと思われるだろうが、胃腸が休まると、血液が浄化されて、筋肉や内臓に酸素も大量に送られ、細胞が再生活性化し、自己免疫力が強くなるのだ。
ウソだと思われたら、皆様もぜひお試しあれ。
最後に幸福屋から一言。
僕は、昔、異様な薬好きで、頭痛がすると、すぐに頭痛薬を飲んでいた。新薬などがコマーシャルで流れるとすぐに買いに行った。けれど、頭痛はちっとも良くならなかった。薬を飲むと吐き気がして、かえって悪くなった。でも、あるときから、ほとんどの頭痛が、人の思念の干渉から起こるものだと判明してから、一切の薬を捨てた。
今でも、頭痛がすると「これは誰の思念だろう?」と探って遮断する。すると不思議に治る。
そういえば昔、大阪の新世界で、酔っぱらいみたいな人が、「こらあ、ワレー、今、俺の頭の中に電波飛ばしてきたのは、おまえかあ!」と怒鳴っていた人がいたが、あれは危ない人ではなかったのか……。