お告げ – 43

奇跡の日々
先日、あの台風の日に、傘を持たないで東京に出た。
電車に乗ると雨が降り、出ると止む。何かのお店に入っていると雨が激しく降り出し、勘定を済ませて、また外に出ると雨がピタリと止む。
一日中、その繰り返しで、とうとうその日は傘もささずに、濡れずに帰った。
自分でも不思議な感じがしたので、友人に話したら、「それ、すごいよ」と驚いていた。
そう言えば、屋久島でもそうだった。雨だと行くのが困難な「縄文杉」の時は、雲もない日本晴れ。コケがしっとりと濡れて美しい、白谷雲水峡に行くと必ず雨が降った。
僕の友人は、雨が絶対に降ると予想された日に、箱根に行った。同行した人たちも今日は雨が降るから、せっかくの箱根が残念かも、と言っていたのに、すべての観光が終わるまでずっと晴れていてという。そして、観光が終わって、電車に乗ったら降ってきたとか。
また、別の友人は、青山表参道の屋外でランジェリーのファッションショーをするイベントの企画(なんと、世界初です!)があり、半年前から、「その日、雲一つない青空で晴れるよ。ただ、ちょっと風が強いけど……そんな気がする」と、言い続けて、本当にその通りに晴れたという。
屋外のイベントにかかった費用は数千万円とか。もし、雨が降ったら、すべてが水の泡となる恐れがあったのに……。もともと、常識破りの無謀な企画。でも、たくさんの人の「晴れてほしい」という想いが集まってそうなったのだ、とワシは思うが。
ひょっとしてワシって、晴れ男? 皆さんもそう思われたことは、無いだろうか?
きっと、何人かの人が「友だちにいるいる」とか、「あたしもすっごい晴れ女」と言うにちがいない。
ワシは、自分も含めて、そういう人たちを「天晴れ者」と呼んでいる。
日本全国の天晴れ者を登録して、屋外であるイベントやスポーツ競技の時に、その人たちを派遣する。
すると、不思議に晴れていく。そんなビジネスはどうだろう?(誰がお金を払うんじゃい)
その反対に、「雨男」や「雨女」の一団を組織して、水不足で悩んでいる地域に派遣し、雨を降らせる。砂漠緑化計画にも一役買えるかもしれない、
そんな「人助けカンパニー」はどうでっしゃろ? と思う。
でも、大事な事は、雨が降った、晴れた、そんな小さな事にもコツコツと「感謝」することではないだろうか?
朝、起きたら富士山が見えたことに、蓮の花のポンと咲く瞬間に立ち会えた事に、おまんじゅうを食べたらアンコがいっぱいに詰まっていたことに、一万円を崩すつもりで買った宝クジが一等を当てたことに(あっ、誰でも感謝するか……)、そして、今日はなんとなく「良い人」でいられるような予感に……。
そういう「小さな奇跡」を私たちはいっぱい見逃してきたかもしれないのだ。
ワシは、それを残念に思う。もし、あのとき、晴れたら一万円と賭けていれば良かったのに……、いや、そうではなく、世界が輝いて見えるのもつまらなく思えるのも、本当に心次第なのだなあ、と。
きっと、僕たちは、奇跡の日々を生きているのだ。神さまから、コツコツと生かされて……。