お告げ – 28

前世の記憶
告白、しなければならないことがある。
えっ!、と驚かないでいただきたい。じつは自分でもあんまり有り過ぎて、どれを、どう告白して良いのやら、わからんのですから。
事の起こりは、私が今、はまっている鍼のK先生の処に行ったときだった。
私の動かない方の足首を診察しながら、K先生はふともらしたのだ。
「ふむ、あんた、事故で死んだ時に別の生命体が入ったんやな」
その言葉を聞いて、私はドキッとした、ことをまず告白しておく。
以前から、感じてはいたのだ。何かが変わったことを。
鏡を見ると、ぽつりと「ワシは前のワシとは違うけんのお」とつぶやき微笑むワシだった。
別の生命体? エイリアン? いや、人間は一つの体の中に幾つもの生命体が入る存在だという。
人間が仮死状態になり、その時に、新たなる生命体が、その人間に降りてくる現象は、ドイツの人智学者ルドルフ・シュタイナーによって観察されている。
それは、地上で、その人間が特別な何かをせんならん時に降りてくるらしい。
そして、ワシは、いや私は無理矢理にでも変わってしまったのだ。
どう違う? と言われると説明に困るが、まず生き方が違う。
以前のワシは、自分でも認めるほどの目立ちたがり屋だった。なにしろ、人の対談に勝手に顔を出しては、ananに背後霊のように載るくらいだった。
また、テレビに出るのも、ラジオに出るのも大好きで、みうらじゅんのラジオ番組にゲストで呼ばれて、しゃべりまくった挙げ句嫌われたこともあった。その時、みうらさんのアシスタントをしていたのが、今のイチロー選手の奥さんの福島弓子さんだった。
ところが今では、本に顔写真も出さない、インタビューは受けても写真撮影はお断り、福助の仮面をかぶって答弁するのが習わしになった。何かのパーティに呼ばれても、壁の花状態。外出時にはマスクとコートで完全防備のワシ。昔とはえらい違いである。
自分のことを話すのも苦手になった。きっと前のワシなら、自己紹介をする時でも、「えーっ、1993年の4月に一酸化炭素中毒に遭いましてー、えっ、事故紹介じゃないの?」とボケをかましていたと思う。
で、今の私は、前のワシとは全然、別人である。と、いうことをまた告白しておく。
よく、事故で死んでいた間(5時間)、何を見ましたか? とか、どんな経験をしましたか? と聞かれる。けれど、今はまだ何も言えない。
ただ、「前世の記憶」はある。前の別人だったワシの記憶は、時折、鮮明に蘇ってくる。あれを前世の記憶と言うのだろう、と思う。普通は、完全に死んでから転生するので、記憶はずっと忘却の彼方にある。私の場合は、たまたまそのまま転生したので、記憶が消去されていないのだ。
ところが、この前世の記憶というのはやっかいである。
朝、起きた時に、「うーん、ハルマゲ丼の大盛りか」とか、漏らしたりする。
仕事をしている時にも、「うーむ、言霊刑事(ことだまデカ)というのは、どうだろう? 事件が起きると、現場にズカズカと乗り込んでいって、“見越し入道、見越したり! この事件は私に解決される!”と叫んで、周りのひんしゅくを買うのだ。……名前は、罰当時三郎(ばちあたりときさぶろう)と言う……。これは、売れるぞ! 」と独り興奮してしまうのだ。
また、テレビどコマーシャルを見ていて、「心にナマハゲ」というキャッチフレーズ(2004年の車内での携帯電話禁止の公共広告)に刺激され、対抗し
「ナマコは友だち」と、ワケのわからないコピーを考えたりしてしまう(ナマコも、とか、ナマコだって、としてはいけない。言い切る強さが必要なのだ)。
前世の記憶で、困るのは自分ばかりではない。昔の、少なくとも、事故以前の私の友人や知り合いたちは、私を以前のままのワシだと勘違いしている。困ったことだ。
彼らは私を目立ちたがり屋のお調子者だと信じて疑わない。
前に、その友人の一人が、本屋で『人生を変えるヒント』(扶桑社)を見つけた。友人は最初、同姓同名かと疑ったらしい。そして、読んでみて、また疑った。
「……これは、加納とちゃうやろ……」
しかし、経歴などから、どうもあの加納らしいとわかった。それで、彼は親しい友人に私の本のことを知らせた。
そのことを伝え聞いた友人は、「オレは、信じへんぞ。ダマされるか!」と言い、その場で魔除けの九字を切ったという。
そんな、かつてのワシの知り合いが、まだ結構いる。
だから、私は、極力、人と逢うのを避けてきたのだが……。
ところで、先日、26年ぶりに、関西大学の同窓生たちと出逢った。
その話は、また、今度ね。