お告げ – 27

あんた、近ごろ、また「ワナ」にはまっていますから、残念!

落語の『東の旅』の一幕に『七度狐』というお話がある。
お伊勢参りに向かう、清八と喜六という気のいいが、ちょっとおっちょこちょいな二人の旅人が、ふとしたことで、性悪なキツネの恨みを買ってしまい、道中、何度も何度も化かされるというお話である。
何気なく放ったすり鉢が草むらできもちよーく眠っていたキツネの頭に当たり、キツネは怒り狂う。
「おのれー、憎いは、二人の旅人!」
このキツネは、七度キツネと呼ばれ、一回人間に仇をなされると、七回仕返しをする、という執念深いキツネだった。
そんなことは露知らず、機嫌良く旅を続けている二人の若者の前に大きな河が現れる。
「はて、こんな所に川なんかなかったが……」と、石を放り投げるとバサバサという草に当たるような音。
「ははあ、この前の雨で出来たにわかの川やな」と、二人は裾を上げて、用心深く渡っていく。
「ふかーいか、ふかいか? あさいーぞ、あさいぞ」と叫びながら川に踏み込んでいく二人を近隣のお百姓さんが見ていた。
「はて、あの二人は麦畑でなにをしよるんや?」

このお話には幾つかのエピソードが盛り込まれていて、急に天気が崩れて駆け込んだ尼寺で、妖しげな尼さんに「べちょたれ雑炊」(じつは壁土の粥)を食べさせられたり、金貸しのおさよという強つくなお婆さんの死体と一晩一緒に過ごさなければならなかったり、そのあげく化けて出た婆さんに「伊勢音頭」を踊るよう強要されたり、という化かされ続ける場面が展開していく。とにかく七度だまされるまでは、解放してくれないらしい。

私たちも、まるで悪いキツネにだまされたように、何度も同じ「轍-ワダチ」を踏んだりしてしまうことがある。
「あっ、うっかりしていた」という忘れ物くらいなら可愛いが、時には、自分で二度と落ちたくないはずのワナにはまったりしてしまう。
「自分は何をやってもうまくいかないんだ」と、否定的な気に陥って愚痴をこぼしたり、誰かへの「憎しみ」を思いだしては腹を立てて、その挙げ句に、自分の体調を崩したりしてしまう。
 
それが自分にも、周囲にも「よくないこと」であることは百も承知している。
けれども、ふと気が付くと、同じ「ワナ」にはまってしまう自分がいる。
そんな経験はないだろうか?
もしかしたら、あなたも性悪な何かにだまされているのかもしれない。 
そろそろ、同じ所をぐるぐると歩かされる「旅人」から卒業して、自分のための「幸せ」の道を勇気を出して歩きだしてみようじゃないか。
「ふかーいか、ふかいか、あさーいぞ、あさいぞ」と。