お告げ – 25

普通……って、何?
あけましておめでとうご猿。
本年もよろしくで、ご猿。
さて、正月が開けると、挨拶のように「お正月、お雑煮食べた?」と聞き合ったりするのは、日本の常識である。
たいていは、「うん、食べたよ」と答える。
そこで、会話は終わってしまうのだが、ある時、私は、さらに突っ込んで聞いてみたことがある。
「お雑煮って、どんな?」
相手は、何を聞くんじゃい、という顔で、「別に、普通の」と答えてくれた。
じつは、その「普通」がくせ者だった。
お雑煮は、地方によって全然違う。
おすましのもあれば、醤油ダシ、味噌仕立てのもある。中には、甘くない小豆のぜんざいのようなものまである。
さらに、おすましでも、京都と横浜では入れる具が違う。味噌も白味噌の土地もあれば、麹味噌の地もある。
また、家風によっても微妙に違ってくる。
それを人々は、生まれた時から、食べ続けてきたために、「普通」だと思いこんでいるのだ。
正月の朝、姑が嫁に、「トシコさん、お雑煮作ってくだ猿?」と頼む。
嫁は、正月くらいは明るく、「はい、お義母様」と、お雑煮の支度をいそいそと始める。
やがて、出来上がった「お雑煮」は、白味噌仕立ての上品な香り。
しかし、姑は、一目見るなり、「新手のいやがらせかい!」と気色ばむ。
そして、そのあと、延々と愚痴をこぼすのである。
嫁の方は嫁の方で、「言われたとおり、お雑煮を作ってなんで怒られないかんの」と、目を泣きはらして、正月そうそう実家に帰らしてもらいますと、涙ながらに夫に訴えるのである。
そんな光景は、毎年、どこかであるように思える。
それも、これも、お雑煮による「天下統一」がなっていないからだ。
一度、「どこのお雑煮が一番? 全国お雑煮選手権」みたいなものを番組で取り扱ってもらいたい。
おそらく、想像を絶する「お雑煮」が登場するに違いない。
それにしても、私たちは、本当に「普通」に暮らしてきたのだろうか?
最後に幸福屋から一言。
健さんの処の「お雑煮」は、母方が富山だったために、京ニンジン、焼き豆腐、東京ネギ、焼きかまぼこ、を醤油ダシで煮たものだった。そこに、焼いたアツアツのお餅を入れる。すると、こうばしい香りがあたり一面に漂う。
ただし、本当の富山では、そこにタラやブリなどの魚も入るらしい。少し生臭くなるのを嫌ったおかあちゃんは、それを省いたバージョンにしていた。
私は、そうとは露知らず、長い間、それが、大阪の王道を行く「お雑煮」だと信じ込んでいた。クラスのみんなも同じモノ食べていたのだと。
……思えば、あの時から、みんなとすれ違っていたのか……。