お告げ – 21

つぶやきの罠!



はじめに断っておきたいが、「つぼ焼きの罠」ではない。
入ろうかどうか迷うようなひなびた定食屋で“サザエの壺焼き”を頼んだら、そこのオヤジが、ぶつぶつと愚痴をつぶやいていて、とてもイヤだったという話でももちろんない。

私たちは、つい「つぶやいて」は、いないだろうか?
「どうせ、オレは……」とか、
「あたしなんて、ダメに決まってる……」とか、
「うまくいくはずないさ……」と、
否定的なことをのたまわってはいないだろうか?
 
未来に対して、まだ本当には何も決まっていないのに、決まる前から、「あきらめ」たり、「がっかり」したりしてしまう。
そして、思わず、口に出して言ってしまう。
それを「つぶやきの罠」というのだ。
 
かくいう拙者も、ときおり、「つぶやきの罠」にはまってしまう。
期待が大きすぎるせいなのか、はたまた、予知能力が強すぎるせいなのか、つい、「今度もアカンやろな……」と、思わず口に出してしまったりするのだ。

人間は、無意識に、暗い言葉(想念)をつぶやいてしまうことがある。
それは、普段の「心の習慣」から生まれたモノなのだ。
たとえば、常に、頭の中がお金の勘定でいっぱいだったら、食事をしても、人にプレゼントをもらっても、何を見ても「これ、なんぼやろ?」と思ってしまうように、いつも習慣的に“思っている”心から、その「つぶやき」は生まれてくる。
だから、いくら明るい、前向きな言葉を口に出してみても、内側の思いが、自分の境遇に不満タラタラだったりすると、その言葉は表面だけの言葉で、本当には生きてはこない。
で、思わず、ふとしたときに、「もうアカン……」と、つぶやいてしまうのだ。

ところで、大阪商人は挨拶するとき、「もうかりまっか?」と言う。
すると、相手はたいがい「いや、ぼちぼちでんな」と、答える。
川柳に、「あきんどは、半値半値で蔵を建て」とある。
「いや、あんさん、かなんなあ、こらもう半値でおます。儲けはゼロでんがな」と言いながら、いつのまにか蔵を建てていることをひやかしたものだが、大阪商人の「いやあ、あきまへん、さっぱり、わやですわ(いや、ダメだね、まったく、思うようにはいかないものだね 訳 加納眞士)」という“言葉”は、じつは「つぶやき」ではない。それは、儲かっていると言ったらツキが逃げてしまうがな、という一種の護符的話術のたまものなのである。いわば、無意識に見える、「意識的な言葉」なのである。
それを「大阪商人のあっちむいて、ホイ」の法則という。

諸君よ! まだ見ぬ明日を心配しないで、つぶやかないようにしたいものだ。
どうせなら、「また、今度もうまくいくような気がする……」と、つぶやいてやろう。
さすれば、世界も、「つぶやきの罠」から脱出できていくだろう。
もっとも、心の中が「ありがたや、ありがたや」の気持ちでいっぱいにならんとあきまへんが……。


最後に幸福屋から一言。
そういえば、最近、あのタレントの“つぶやきシロー”さんは、どないしてはるんやろ……。