お告げ – 146

……記憶からの自己限定?
先日、こんな事がありました、はいなー。
神奈川のショッピングセンターで突然、焼きそばが食べたくなったのであります。
そのショッピングセンターには、フードコートと専門店のグルメ街がありました。
普通なら当然、専門店と思うでしょうが、私はなぜかフードコートに食べに行ったのです。案の定、美味しくなくて、その上、高くて、半分も食べないうちに残してしまいました。
はてさて、そうなると人間、「ああ、あっちにすれば良かった」と思うのが人情でございます。そこでオイラは(誰?)、専門店の焼きそば屋に食べ直しに行ったのでごわす。
……やはり専門店の焼きそば屋は美味しかった!
生ビールを飲みながら、別の店にトライして良かったなと思いました。
《絵日記終わり》
イヤイヤ、まだ終わりませんよ。チャンネルはそのままに。
さて、ここで大事なことは、どうして専門店ではなく、フードコートに行ってしまったのか? なのです。
じつは、私はまだ若い時に、そのフードコートにはいつも行っていた記憶がありました。
その頃には専門店もあまり無く、何かを食べるにはそのフードコートしかなかったのです。
そして、若かった時分は、そこの味に十分満足していたのだと思います。
その「記憶」が、何十年後の自分を支配して、フードコートに向かわせたのであります。
もし、そんな記憶が無ければ、最初から専門店に行っていたことでしよう。
つまり、記憶が自分の行動の選択を決定してしまう、それは無意識の自己限定なのです。
では、どうしてそのような事が起きるのか? というと「以前の自分」と「今の自分」は記憶で繋がってはいるけれど、「別人」だからです。
「変わった先の自分が何を望み、何を喜ぶ」のかは、「変わる前の自分」には決して理解できないものなのです。
「男子三日会わざれば、刮目して見よ」と古語にあるように、人は「変わる」ものなのです。
なのに、記憶は以前の自分(嗜好)を覚えていて、以前のように行動させてしまうのです。その「自己限定」は、はっきりと認識した時に外れます。
私はよく「気が済むのはとても大事」と言っていますが、それも夢や希望というものが自己限定に変わることもあるという認識から出たものなのです。
さて、あなたの日頃気づかない「自己限定」幾つあるでしょうね。
2013年12年27日
良いお年を!
と言うよね。良い新年を迎える、新しい年が良い年であるように、と願う。
それって、基本が「良くない」という前提から来てるんじゃない?
健康な人は、「健康になりたい」とは言わない。
だとしたら、地球はたいへんな惑星だね。