お告げ – 141

……病気暮らしと陽気暮らし
……えーっ、とーとつやけど、最近いつ笑いました?
腹の皮ヨジレルーって、転げ回って笑いました?
そういえば、いつからやろ? 口を大きく開けて笑ってないなー。
そんな声ばっかり……。
そやろ。
あんまり笑ろてないやろ。
第一、笑えるほど楽しい事なんてないやん。
地震はしょっちゅうあるし、北朝鮮のミサイルは飛んでくる!ってテレビとかで言うし。
福島の原発はほんとのところ、どうなってるか誰も知らんし。
そやろ。
この状況でどう笑えっちゅうねん、なあ。
漫才や落語見て、ちょっと笑うくらいが関の山(どんな山なん?)やろ。
せやから、みんな病気なんねん。
昔から、笑う門には福来たる!言うやん。
あれは、笑ろてたら、福が来る、いう意味やで。
可笑しいときには誰でも笑えるやろ。
問題は悲しいとき、腹が立つときに笑えるかどうかや。
そんなん無理や!
まあ、普通はそう思うわな。
そんなん出来たら苦労せえへんて。
そら、そうや。
けどな、よう言うやろ。
他人の悲劇は、どこまでも他人事やて。
人の痛みを我がことのように想う。
まあ、立派やなーと思うけど、それでは身がもたんで。
世の中、悲しんでる人が多すぎる。
自分に起きてる出来事を他人事やと思うて見てみたら、どうや。
みんな、あまりにも自分を中心に考えて、どん詰まりになってんのとちゃうのん?
「人は人生に躓くのではなく、自分につまずくのです」
誰か知らんけど、ええこと言うやん。こら真理やで!
自分を客観視するのをさらに超えて、「誰やのん、こいつ。何を悩んでんのん? アホちゃうか?」くらい、どん引いて見てみ。
つまり、自分のことや、自分のことやと意識しすぎるから、そこから出られへんようなって、気持ちも塞いでいくんとちがう?
それやったら、他人事やと思うて、本気で「この悩んでるアホは誰やろう?」と他人になって眺めてみ。
なんか、笑えてくるで。
……つまりや、自分のことを掴んでると「笑い」が無くなるっちゅうことやねん。
病気も意味あるけど、陽気はもっと意味あるで!
2012年5月1日
シャバダバター、ヘい、オレが昔、夕焼けだった頃、弟は小焼けで、親父は胸焼けだった。
わっかるかなー?
……まあ、これもまだ自分を掴んでいる状態なのだよ。わっかるかなー、わっかんねえだろうなあー。