お告げ – 132

アバターも笑窪(エクボ)2

映画『アバター』がアカデミー賞を受賞したってね。
ただ、映像としての評価の方が勝っていたとか。一番の価値があるという作品賞には、『ハート・ロッカー』というイラク戦争での爆弾処理班のお話しが取ったとか。
それでも、『アバター』は興行的には大成功だから、きっと、次回作の企画も出ているよね。
さてさて、こんな感じかな?

主人公が先住民ナヴィに同化して地球軍を退けた喜びもつかの間、貴重な鉱物をあきらめない人類側は新たな軍隊を侵略者として送り込んできた。
その頃、主人公たちは前作で奪った地球軍の武器の扱い方を先住民達に教えて訓練していたのだった。元地球人だった彼には、人間が金になる貴重な鉱物資源をそう簡単にあきらめるはずがないことを知っていたのだ。
……で、レジスタンスと占領軍の戦いに図式化していく。
それまで、弓とか矢という原始的な武器しか持たなかった先住民は、銃や火器という地球人特有の兵器を使うようになり、周囲の肉食生物の驚異を退ける力を持ったことに気付いていく。
それは、自然と共存していたナヴィ達を自然から遠ざけてしまう力だった。また、「自分の星」という所有欲による自我に目覚めた彼らは、精霊の声からも遠ざかり、きっと文明人になっていく。
かくて、宇宙に新たな“汚染”は広まるのだった。

……的な映画になりそうな気がする。
なぜなら、人間の「闇」の本質を上手に肯定した映画だから。

宇宙に出る、ということの真の意味を理解すれば、人間の存在が「どうあるべきか?」という存在のあり方を問うことになるはず。
そういう映画がどこかで出来ないだろうかね? 
所詮、アカデミー賞は、ビジネスを中心とした賞だから、無理かもしれないけど。

……人が、人ではないものに変わる、それは、「霊化」による人類の変革を感じ取った象徴のように思う。けれど、人間は今度の霊化では“存在のあり方”を問われている。  
未だに戦争が無くならないこと、悲しみが消えないこと。
それが、当たり前になっている事に“疑問”を持たないこと、仕方がないとあきらめている事、それらが、大きな不幸を作っている事を「どうして?」と自らに問うことから“真の変革”は始まるのだけど……。

 
2010年3月8日(月)
3月にチリでM8の大地震が起きて、また多くの犠牲者が出た。
その次の日には、台湾の南でM6の地震が起きている。
人と地球の関係が、予想以上に厳しいものになっているように思う。
原因は、自分の自我を甘やかしてきた結果だ、と言ったら驚かれるだろうか? 天変地異と人間の自我がどうして?
別に先住民のように、天変地異を「浄化」だと言うつもりはないよ。犠牲になった人たちや家族の想いは痛すぎるから。
けれど、人間の本質が変わらないかぎり、この異変は続くということも痛すぎる事実なのだ。
前にも言ったけど、ある意味、天災ではなく、人災だと思ってしまう。