お告げ – 129

2012年
……以前、「みんなエコ、エコ(アザラク?)って言いますが、本当に地球にとってそれは良いことなのでしょうか?」と質問してきた読者がいたよ。
で、僕は、「それは、悪いことではないけれど、今の人達が言う“ECO(エコ)”は、経済的効果やビジネス的効果を期待しての感覚。それに、“SAVE THE EARTH(地球を守れ!)”って言うけれど、それは自分達の暮らしにとって、地球の自然が必要だから言っているのに過ぎないように思う。どこまでも人間中心の地球観。……地球が人間に望むことがあるとしたら、ただ一つ。“戦争をしない人間、人を殺さない人間の登場”だけだと思うよ」と話した事がありました。
ところで、いつものように“大ヒット上映中!”とテレビではのたまうけれど(本当かどうかは知らないけれどネ)、皆さんはもう『2012年』という映画はご覧になられましたか?
残念ながら、僕は観ました。「オイオイ、観たのなら、残念じゃないだろう……」とツッコムところだけど、確かに、ある意味「残念な」映画だったんだよ。
で、何が残念なのかっていうと、あれは、本来起こるはずの出来事だったからだよ……。
映画の中で、インド人の科学者が太陽のフレアが異常発達して地球にニュートリノのエネルギーが降り注ぎ、地球の核が沸騰して地殻がドロドロになってしまう(?)という導入があるのだけれど、その始まりが2009年の今年。そして、その4年後に大地の崩壊が始まるという設定。
もちろん、映画の公開年に合わせたから、2009年にしたのだろうと言われればそれまでなんだけど、ずっと太陽の異常なエネルギーを関知してきた霞谷七人衆の者達(誰?)は、今年の3月3日から太陽が異常振動を続けている事と重ね合わせると“あり得る”と言わざるを得ないという見解を持っているんだ。
おりしも、サイエンティスト誌に「太陽黒点の異常。発達時期なのに、減少か?」という記事が発表されたのが、今年の8月だった。記憶されている人もいるかも、と思うが。
そして、11月11日を境に、太陽のフレアが螺旋のトルネード(竜巻)状に変化を始めた。ただし、これは霊的太陽(太陽の物質体に対してのオーラ体の方。人間に肉体とエネルギー体であるオーラ体があるように、太陽や地球にもある)に現れた現象だから、誰もが気付いているとは言い難い。けれど、陰陽の常として、最初にオーラ体に現れた“ひずみ”は、必ず物質体(肉体)に現れるから、12月になった今では、何らかの観察がなされているかもしれない。
さて、「2012年」という数字は、天体観測に優れていたというマヤ文明のマヤ暦が2012年の12月23日の冬至で終わっている為に、その日が人類最後の日だとか、その年にフォトンベルトという光子エネルギー(?)の中に太陽系がスッポリと飲み込まれ、波動の高い(霊格?)人間は生き残り、それ以外は滅びちゃうとか、まことしやかなバカな話が囁かれているからなんだと。また、聖書の「黙示録」のこじつけている人達もいる。
過去の「1999年7の月……」というノストラダムスの四行詩の時にもそうだったけれど、「あと数年で滅ぶ(かもしれない)」というのが、“何か”を刺激するみたいで、ある人達にとっては「たまらない」のかもしれない。
いわば、「次の終末」ブーム?
僕は、「明日終わるよ!」の方がスッキリすると思うけど、明日だとシャレになんないのだろうね、きっと。だから、ジタバタできる数年後というのが程良いのかもしれない。
今も伊豆地方で地震が頻発しているだけに、東京に大地震が来るのでは? と多くの人達が不安になっている日本人にとって、世界の破滅や人類の終焉(しゅうえん)は他人事と思えない処があるけれど、実際にはどうなのか? そこん処がみんな知りたいよね。
宗教家やニューエイジ(精神世界)の人達は、眉をひそめて深刻そうに「もう時間がありません」とか言うのだろうね。でも、時間がないのは、どっちだろう?
“霊的”とか、“エネルギーで……”とか言っても、本当には「何も見えてはいない」かもしれないし……。
……『2012年』の映画では、一握りの人間しか生き残れない。それも驕り高ぶったお金持ちや自分と自分の家族だけを助けようとする人達、「自分には価値がある」と思いこむ政治家や科学者……。エゴのぶつかりあう、観ようによっては吐き気がするという人もいるはず。
そんな者達が生き残っても、すぐに食糧配給の問題や権力争い、所有欲……と、今までの人類の歴史の繰り返しは容易に予想できる。それでは、何の為に地球は新しい進化の段階に入ったのか……。何の為に人間は今日まで苦しんできたのか……。
だから、そんな未来は起こらない! んだよ(なんと乱暴な三段論法!)。
……人は、すべての人は、自らに“問う”権利を持っている。
「自分は生きたいのか? 死にたいのか?」
自我と魂の狭間で揺れる存在、それが人間だよ。
そして、人間は自ら選ぶこともできる。
「自分を超えよう!」と。
何を超えなければならないのか? 何を手放せば良いのか?
そうすれば、変われるのか? 変われなければ、どうなるのか?
本当は、誰もが知っていて、だからこそ、知りたくなくて目を背けようとする。
答えは、いつだって内側にあるから……。
2009年12月20日 今年もあと僅か……。町にはクリスマスソングが流れている。年賀状の締め切りも間近。師走はいつも忙しい。僕は、別の事で忙しいけど。
来年は、今年動き出したものが形になっていく。2010年……、2012年よりも大切な年かもしれない。どうぞ、皆さん、良いお年を……。