お告げ – 125

ソ、ソ、ソクラテスか、プラトンか?
♪……ソ、ソ、ソクラテスか、プラトンか、みーんな悩んで大きくなったー! オレもオマエも大物だー!♪
ハイな、おっちゃんです。
この歌はな、その昔やな、ニッカウィスキーのコマーシャルで野坂昭如さんが唄とてはった歌や。覚えとる御人もおるんとちゃうかなあ?
……そうだんねん! ワシらは悩んで、悩んで、悩み抜いてきましたがな。
どうやって生きたらええんやろ? この現実と自分とどう折り合いを付けていったらええねん? と。
……けどなあ、自分が大きくなったという実感はなかなか持てへんかったなあ。
中には、計画性ナシで生きて、なーんも考えなかった人もおりまっしゃろ。
昔、知り合いに、「考えると、気が遠くなるんです」と言いきった御人がおました。その人は今、どないしてはるんやろ……? 今も考えてへんねやろなー。
……けど、そうやなあ。それで悩み抜いた末に、答えは出たんやろか? と言われたら、出んかったような気がしますわ。
「それで良いんだ!」としたり顔する大人もいてはりますけど。
プロセスが大事なんやで、と。
そうでっしゃろか?
悩むだけやったら、天王寺動物園のサルでも悩むんとちゃうの。
問題は、悩み方にあるような気がするんやけど。
人間はな、体験したことを“経験”として蓄積しますやん。
そいで、その経験から更に学んで、“思想”になるんですわ。
悩むっちゅうのは、いわゆる思想なんやね。
そいで、思想をシチューのようにグツグツと煮詰めて、さらに思索して昇華したんが哲学やねん。
ところで、哲学と思想の違い、あんさん、わかってはりますか?
大学でも教えてくれまへんで。
今日は特別におっちゃんが教えたろ。
あのな、思想はどこまでも個人の経験から得た、その人にとってのモノゴトの捉え方やねん。価値観ちゅうか。
けど、哲学っちゅうのは、その思想に普遍性を求めて、あれこれ考えて辿り着いた、一つの“真理”を言うねん。
せやから、ソクラテスはんもプラトンさんも、悩んだから大きくなれたんやろね。
ワシら凡人との違いは、そこやね。
あっ、すんまへん。なんか脱線しましたわ。
そやった。悩み方でしたなあ。
……うーん、一言で言うたら、自分の体験を他人ごとのように観ていく姿勢かなあ。
ほれ、悩んでる時は、自分しか見えてへんやん。
近視眼的な発想しかでけへんし。
そんな時は、ポーンと自分から離れてみますのんや。
「悩んどるのは、いったい誰やねん」みたいな。
そうすると、今まで気がつかんかった“視点”に出くわしたりします。
自分にとってはこうやけど、他の人にとってはどうなんやろ?
それが、哲学の入口やねん。
そこから、更に「これにどんな意味があるんやろ?」とまで突き詰めていったら、あんさんはもう立派な哲学者でっせ!
「人間は考えるアシである」と言わはったんは、パスカルはんやった。
人が自らの意志で進化するかしないか、変わるか変われないか、それらは皆、思考という知的作業の向こうにあるんとちゃう?
……で、あんさんはどないだ?
2009年7月10日(金)
……いつの間にか梅雨が明けようとしている。今年の梅雨は雨は多かったのか、少なかったのか。
去年のようにゲリラ大雨がまもなく始まるとも聞く。
また、聞くところによると、世界の各地では、さまざまな人が祈ったり、神事をしたりして、地球の進化を促したり、人間の次元を上げようと試みたりしていると云う。
で、ボクは、それに対してどう思うのか? というとバカバカしい事だとしか答えられない。
地球の進化とか、人間の次元など、人間に上げられるはずがないじゃない。
人は一つの音叉のようなもの。共鳴りで響いていくのは、自分と同じレベルだけ。
ならば、自分が浄化されないで、人も惑星も浄化できるはずがないじゃない。
ほんとに、人類は思考が足りない。精神世界のセミナー達は、心に病を持った人の自殺防止ケアであることをそろそろ告白したらどうだろう。
……ああ、太陽の黒点の減少も、7月7日に全ての人間の額に降り注がれたエネルギーの正体もきっと誰も知らないのだろうね。
すぐマネするから、教えてあげない。
でも、もう、どうでもいいや……。