お告げ – 116

「くたばれ!バレンタイン」

「今年のバレンタインは、男の子から女の子にチョコをあげましょう!!」

ウィー~……。思わず、オードリーのカスガのように唸ってしまった。
バレンタイン、バレンタイン、バレンタイン、……バラシタイン、バレタラドナイショ……。
街角のポスターや雑誌、デパートの催し物会場の広告まで、バレンタインの特集が組まれている。

例年のごとくかと思っていたら、今年からは、女の子ではなく、男の子からチョコをあげましょう、ときた。
確かに、バレンタイン戦線は変遷している。
一番最初は、不二家のハートチョコレートだったと徳川幕府の公式記録には載っている。それが、普通のチョコレートでは大して儲けにならないからと、高級チョコ路線が誕生した。ゴディバの登場から、一粒1200円のチョコなど当たり前になっている。

そして、チョコではあきたらず、ウィスキー、ブランデー、派手な男物のパンツと、どこまで行くねん!という感じで迷走し続けてきた。
しかし、そこには、暗黙のルールがあった。
それは、女の子から男の子へ渡すモノ、というルールだった。
告白の本気チョコだろうが、義理チョコだろうが、送り手と受取手の線引きは変わらなかった。

けれども、今回の男の子から女の子へ、というのは、その不文律を犯す行為である。まさに、下克上(げこくじょう)なのだ。
「そんなにまでして、チョコが売りたいのか!」
想像してみて欲しい。女が男にチョコを渡す。男がそのお礼にと女にチョコを返す。互いの心をチョコがつなぐ。
クサイ! クサすぎる! 

チョコ離れのバレンタインの傾向は確かにあった。もともと男よりは、女の方がチョコなど甘いモノに目がないのに、女から男にプレゼントする事自体が無謀だったのかもしれない。だから、チョコ業界としては、減る傾向にある売り上げの起死回生策として、「男からの告白チョコ」を提案したのだろう。

けれども、それって普通じゃん。
男が甘いチョコを女にプレゼントをするなんて、特別でもなんでもなくねー? 男からプロポーズするのと同じだから。
もともと女から告白する行為に、意外性や新鮮さがあったのでしょうが!

大阪の寿司屋と海苔屋の陰謀から誕生し、まんまと日本国中をハメた「恵方巻き」も、あれ、“太い恵方巻きを切らずにかぶりつき、しかも無言で食べきらないと福は訪れない”という、チャレンジャー魂とジンクスを設けたから、あれだけ流行ったのでしょ。もし、太巻きを食べやすいように切って、しゃべって団らんしながらいただいてください、やったら流行らなかったのとちがう?

結局、目先の利益に焦るものは、いつも自分の首を絞める。
じゃあ、ホワイトデーは、どーすんの? 自分でチョコ渡して、また3月に何かのお返しプレゼントするのか?

厚かましいわ! ボケェー。
 
マスコミや周囲の価値観で動かされていく、そうして、自分自身の価値観も持たずに、流行とかに流されていく。
それは、感性の退廃だよ。

昔、サン○リーオー○ドというウィスキーの広告を担当していたデザイナーが、その年のモルトが足りなくなって、会社がタバスコを入れて誤魔化し、広告に
「オー○ドは、辛口!」と描かせたことを嘆いていたっけ。
植物成分100パーセントのカラクリ(シャンプー等で化学物質満載なのに、ほんの数滴だけ植物成分を入れて、いかにも全部植物性と思わせるレトリック広告)とおんなじやん。

いつまで、企業はボクらをダマすの? 
そして、ボクらはいつまでおバカなままなの?

ホンモノを求めるなら、ホンモノを知らないと!
そして、外にではなく、自分の内側に「本物」を作っていかないと……。
でないと、いつまでもボクらは、本物に巡りあえないし、本物になれない。

それでいいなら、仕方がないけど……。

キレイはキタナイ、キタナイはキレイ。
世界は自分の外にではなく、内側にあるのだから……。


2009年 2月12日 
今年の恵方巻きは、テレビを見て、愉快に食べました。もちろん、東北東なんて向いてません。
恵方自体が意味のないものになったのですから。
これからも、世の中はどんどん変わっていきますぞ。
当たり前とかジョーシキと固く信じていたものが、砂上の楼閣のように音を立てて崩れていくように思います。
確かなモノなんて、何もない。
京都の広隆寺の弥勒菩薩様が言わはったそうです。
「覚悟しいや!」やて。
クワバラ、クワバラ……