お告げ – 115

「鬼はー、外!」
「鬼はー、外! 福はー、内」
子どもたちが元気な声で豆をまいている。
鬼のお面をかぶったお父さんが「あ痛ててててて……」と大袈裟に悲鳴をあげながら逃げまどう。
お父さん目がけてお母さんの豆をまく目が真剣だったりする。
どこにでもある平和な光景。
暗 転
……闇の中から怪しい影が浮かび上がる。辺りから、虫の声。
♪ゲ、ゲ、ゲゲゲのゲー♪
「やあ、人間の皆さん、ゲゲゲのマコ朗です……。もうすぐ節分ですね。節分には“豆まき”がつきものですが、皆さんは、鬼はどこから来るのか知っていますか? ……外からだろうって? では、どうして、もともと外にいる鬼を、“鬼はー外”って言うんでしょうね。外にいるモノなら、わざわざ言わなくても……、そう思いませんか? でも、もし外ではなくて内側だったら……」
再び暗転。
……百億の昼と千億の夜を生きてきて、ふと思う。
人間は、神にも仏にもなれないが、鬼にはなれる、と。
鬼とは、狂おしい情念から生まれるから。
好きも嫌いも情なら、嬉しい、悲しいも情だろう。
感動することも情のなせる技。
心を揺らすものの正体が、情なのだ。
人は、人との関係をいつも求め続けている。
恋する相手、兄弟、親子、友人、仲間……。
「おはよう!」
挨拶をすると、相手にも応えてもらいたくなるでしょ。
けれど、無視されると、悲しい、口惜しい、腹立たしい。
何気ない気持ちや想いのすれ違いが、知らず知らずの内に人を変えてしまう。
そうして人は自分を縛り、相手を縛り、そして、世界までも縛っていく。
地球は、見えない鎖で繋がれた人ばかり。
「自由を!」
そう叫んだ人が、気づかぬうちに人を巻き込んで縛っていたりする。
結局、ちっとも自由じゃなくなっていく。
本当の自由は、まず自分を“解放”しなくっちゃ。
人に縛られたくなければ、自分が人を縛らないようにすればいい。
その為には、溜めないこと、力まないこと、焦らないこと、……思い詰めないこと。
自分を“ラク”にできるもの、今、幾つ持ってる?
趣味や遊び、旅行……?
好きな人がいるなら、どこが好きになったの?
自分と同じ処、自分にはない処?
自覚している自分って何だろう? 自分にないモノって何だろう?
ギリシャ神話の『パンドラの箱』からは、いろんな悪いモノが地上にあふれ出たけれど、最後に残ったものは「希望」だった。
ならば、人間の心の闇のパンドラの箱からも、希望はあふれ出るのだろうか?
『旧約聖書』に、「神は光あれ!とのたまわれた」とあるけれど、本当に最初からあったのは、闇。
闇から生まれる光……、一番強いように思う。
ならば、心に鬼を飼っている人間の皆さん、
鬼の後に出てくるものは、もしかしたら、美しい光かも……。
……それが、「愛」なら、いいな。
2009年 1月28日
目玉の親爺 「おい、マコ朗! なるほどのう。福はー内ということは、人の内側には“福”が無いから呼ぶんじゃな……」
マコ朗 「…………」
ところで、今年の恵方は、“東北東”だそうです。
僕はセブンイレブンで、特製の「森公美子さんプロデュースの恵方巻き」を頼んでしまいました。
太かお人の作りんしゃった、太か恵方巻きでごわす!
きっと、2月3日の節分の夜は、その方向に向きながら、恵方巻きの太巻き喉を詰まらせながらムグムグと食べるんだろうね。