お告げ – 114

「初夢」は、どないどした?

「……うち、ダーリンが好きなんだもん。ダーリンとお母様やお父様や天ちゃん、修太郎やメガネさん達とずーっとずーっと楽しく暮らしていきたいっちゃ。それが、うちの夢だっちゃ」
 
30代で広告代理店を辞めてフリーの広告マンになった僕が、毎日毎日、それこそ中毒のように毎夜繰り返し観ていた映画がある。
それが、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(1984年 キティ・フィルム 押井守監督・脚本)だった。
友引高校の学園祭の前日、それが、気の遠くなるほどの前から、毎日“同じ一日”が繰り返されていた事にみんなが気づいていく、という非常にシュールな物語だった。胃ガンで亡くなってしまった美容師の友人と一緒に何度も観ては、「……この水道の蛇口からあふれた水が地面に広がっていくのは、気づいた人間の不安の広がりなんやな」と深読みしながら話し合ったりしたものだった。

けれど、もちろん物語自体はドタバタコメディで、ラムちゃんやしのぶ、諸星あたる等の主人公達のキョーレツな個性とエネルギーが、観ている僕たちを異世界に引きずり込んでくれる力技的なエンターテインメントの映画だった。

……あれから、僕も、その……いろいろあって、二十年以上の歳月を経て久しぶりに観たときに、どうして、あの頃、毎日のように見ていたのか? その原因というか、正体がわかったような気がした。

それは、「変わらない毎日」は、無い。 ということだった。
いくら楽しくても、どれほど平和であっても、昨日と同じ一日が永遠に繰り返されるのだとしたら、それは、地獄なのだと。

“進化”という物差しで観たら、であるけれど。
  
僕は、たぶん、その映画の中に、「変化することを恐れる」人間のもう一つの“本質”を観ていたのだと思う。
そうして、「どうすれば、そこから脱出できるのだろう?」とぼんやりと考えながら。

物語の中で、主人公たちを「夢の世界」に引きずり込んだ魔物、夢邪鬼は言う。
「……あんさん、今のが夢で良かったと思とりますやろ。現実でのうて良かったと。そや、夢やからやり直しがききまんのや。なんぼでも繰り返すことができますのんや……」

毎日、おもしろおかしく暮らせたら……、きっと誰もが一度は思うにちがいない。
楽しい一日が何度でも繰り返せたら……と。

けれど……、覚めたら、同じ所にいる……。

荘子の『胡蝶の夢』を思う。
夢の中で蝶になった男が、この蝶は自分が見ている夢なのか、それとも自分という存在が蝶の観ている夢なのか? と考える。
現実と非現実の境がわからなくなっていく世界。

確かに、現実と非現実には、境目など無く、霊的世界で起きていることは、現実の世界で形を変えて起きていく。
それは、肉体とオーラの関係にも似ている。最初にオーラに変化があって、やがて肉体に病気とかで現れる。
しかし、それはじっと同じ所で留まってはいない。常に変化していく。

……もし、人が前に進まないことを望むなら、きっと人間は、この世界に降りてなど来なかったように思う。
こんなにも苦しい、悲しいことの多い世界に。


今年は、自分で考える年、誰にも頼らずに答えを出さなくてはならない年。

僕の初夢は、こんな感じだったかな……。

「もう少しだけ、寝さしてーな……」
「もう少しって、どのくらい?」
「あと一年」
「五十六億7千万年も待ったけど……」
「そんなに待ったんなら、あと、一年くらい、ええやん……」
「……ううん、一秒たりとも待たないよ」


2009年 1月8日 
お雑煮食べました? お屠蘇(とそ)は飲みましたか?
あけましておめでとうさんです。
また、「必殺仕事人」が始まりましたね。藤田まことの中村主水がおじいちゃんになっちゃったけど、中身は30年前と驚くほど変わらない。
それを凄いことだと思うのか? それとも、おんなじ一日の繰り返しやん、と嘆くべきなのか? 
まだ、夜明けは遠いのかな……。
とっくに明けてるのに、気がつかないだけだったりして……。