お告げ – 113

行かんといてな今年、来んといてな来年

……もう一つの「行く年、来る年」。明日のような今日

チャカチャンリン、チャンリン……(落語のお囃子で、上方落語の落語家が登場)

えーっ、まいどバカバカしいお話を。
……なんですなー。いよいよ年も押し迫ってまいりましたな。
おおかたの予想では、このまま行くと、もしかしたら、あと数時間で年が明けるんやないか? ともっぱらの評判ですが、中には、「いやいや、そう簡単には明けんやろ。なんぼなんでも、もうちょっと引っ張るやろ」という人がおりますな。
……何を引っ張るんかわかりませんが。ヒモのついた飴玉かいな、それとも、人の気ぃでっしゃろか?

大晦日は一晩中電車が走っておりますから、一番早い初詣や! 言うて、今頃は、振り袖なんか着て電車にぎょーさん乗ってはるんと違いますか。
大阪人は気が早いから、まだ12時にもなってへんのに、「ハッピーニューイヤやねん!」とか言うて、神社の境内で今からキャンプファイアーや! って騒いだりしよりますから難儀(なんぎ)でっせ。
厳(おごそ)かな儀式でもなんでもお祭りにしてしまいよる……。
 
ところで、昔から、「来年の事を言うと、鬼が笑う」て言いますな。
なんでも諸説があるそうで、その中でも、鬼ちゅうのは人の寿命を知っとるんやそうです。それで、人間が自分が来年どうなるかもわからんのに、来年の予定を立てたりしていると「こいつ、来年死ぬのに、何にも知らんとアホちゃうか……」と、鬼があざ笑ろうてるんやちゅう説が、いっちゃんドッキリとしますな。
まあ、先の事はわかりまへん、何にも当てにならしまへんということから、大事なんは「今でんがな、今!」ちゅうことですわな。

だいたい人間は、先の事がわからんから、頑張れるんとちゃいますか?
明日の事がわかったら、それもエエことやったら、楽しみにも出来ますけど、悪いことやとんでもないことが起きるとわかってたら、明日なんか来んといて! 帰ってちょーだい! という気になりますわな、ほんま。

せやのに、占い師とかに観てもろうて、「私の恋は、来年どないなってるんやろ?」って聞いたりしてるでしょ。
「そんなん、知らんわい! あたし自身のことかてわからへんのに!」って、ハリセンでしばいたったらええのに。

ほんま、明日の事もわからんのに、来年なんか知るかい、って言うか、……知らんでもええねん。
ほら、仏教でも言うてますやん。「知らぬが仏」って、あれ? 仏教と違(ちご)たかな……。
まあ、何でもよろし。

今日を精一杯生きる、のが大事なんですな。
そして、明日になったら、その日の“今日”をまた、生きていく。
そうやって、毎日、“明日のような今日”を生きていくんですな。

人間は、それが一番幸せのように思います。

せやけど、びみょーなニュアンスでっけど、“明日のような今日”ってどんな“今日”やと思います? 昨日のような今日とは言うてませんよ。
今日を昨日とおんなじように生きてたら、明日も同じですやろ。
そしたら、「明日」も今日と変わらんようになってしまう。

「それでええがな!」とみんな思うてる。
ほたら、なんで、明日がそんなに気にまりまんねん?

……変わりたい、けど、ほんまには変わりたない。
自分をよう手放せへんのんやろね。
そうやって、いつまでも今日を引っ張とるんや。

「ほな、また明日」という言葉は、今日の続き、を意味しますけど、今日の続きの明日が無くなってたら、どないするんやろ?
今日をどう生きるか? と違いまっか?
明日のような今日とは、日々、変わり続ける今日のことやと思うんですけど……。

来んといてな、と思うても明日は来よります。
それが自分の望んだ形やのうても……。
社会は人間が構成して出来てるはずやのに、人間がそう変わらんでも、世の中はどんどん変わっていきよる。
とくに今は、加速してはります。
……ほな、皆さん、まあ、良いお年を。  


2008年 12月31日 大晦日。
ゴーンって、遠くから鐘の音が聞こえてきます。よう響いてまっせ。オンーーーーーーって。
テレビでは、全国各地の「行く年、来る年」の光景が映ってます。昔は、そんな年寄り臭い番組……と思てましたけど……。
なんか、急に、貴重な記録のように思えてきて……。
……今、この瞬間にも、地球の変動は止まらんと動いておるんやとか。
いろんな所の磁場が乱れてて、いつ、それが大きな地震に繋がるんか、ようわからんゆうて、学者もお手上げやそうですな。
地軸も公園のシーソーみたいに、ギッタン、バッタン、揺れてたりするそうですが、それを知ったかて、大阪人がタコ焼きを食べるのを止めるワケやないですから、人間は自分の日常をそう簡単には変えられんのですな。
まあ、結局、明日のことは、明日考える、しかないんとちゃいますか?