お告げ – 108

癒やすこと、癒やされること
……うーん、どっかで聞いたタイトルやなあ。
拝啓、
秋も段々と深まり、落ち葉で焼くお芋が恋しい季節となってまいりましたね。
「元気ですかー!」と叫んでいたアントニオ猪木のあの夏のような言葉が懐かしい今日この頃ですが、お元気でお過ごしのことと存じます。
私の方は、ロケット団のように世界の破滅を防ぐため愛と真実の悪を貫きつつ、身体なんか腫らしてみたりして日夜頑張っておりますが、なかなか最近は心情的に疲れてまいりました。
そう言えば、巷では「ヒーリングうぅー」という言葉が、ずいぶんと日常的になってきたように思います。
現代西洋医学ではなかなか治癒しない病気も増えてきて、ストレスがほとんどの病気の一時的原因となってきたように感じます。
ところで、聞くところによりますと、地球の核の膨張と収縮による周期数の変化で、人間の身体にも影響が出ているそうですね。
「意識の進化」という名の下に、自我の崩壊と剥離(はくり)が進んでいるとか、はたまた、『ヒミコ伝』を読まれた方の額に、地球の周波数変化の影響を和らげる“光の結晶体”が入って行ったのを視たとか、観なかったとか、まあ、いい加減な噂が飛んでおります。
何でも、太陽の霊的エネルギーレベルも桁違いに強くなって、肉体の「霊化」も進み、心の変化が肉体を変化させる力も強くなってきているとか。
それで、ストレスとかも肉体にモロに反応してくるのですね。
……ほんとの事はわかりませんが……。
けれど、確かなことは、人が他人を、あるいは自らを「癒やしたい」と考え始めた事でしょうね。
人も、地球も「傷ついている」。そのことを誰もが自覚してきたのではないかと思います。
でも、自意識や自我、あるいは自己主張はまだまだ強く、ヒーリングを志す方の中には、「特別な存在としての自分」を自らに求める方もいらっしゃいます。
「地球や人を癒やすことが、私の使命です」とはっきりと断言される豪気な方もいます。
……地球は、人間の為に傷ついてきたのに。
「人を癒やす」ことのできる自分を目指そうとされる方は、実際に多くなっていますね。
昔、聞いた話ですが、南カリフォルニアにあったミシェール・ジャンポールスキー博士のアティトュードナル・ヒーリングセンターには、毎年のようにたくさんのボランティア志望の方が来られたそうです。スタッフの方が「あなたは自分が癒やされに来たのですか? それとも、人を癒やすために来られたのですか?」と質問すると、彼らは一様に、「もちろん、人を癒やすためです」、「自分の力をここで役立てたい」、「何か自分にもできることがあるはず」と訴えたそうです。
でも、しばらく話している内に、「本当に癒やされたかったのは、自分だった……」と気づかれていくとか。
……私は、それで良いのだと思います。
自分が苦しんだり、悩んだりしなかった人間が、どうして人の「痛み」を理解できるのでしょう。
いっぱい傷ついてきた人は、それだけ、人の苦しみを「癒やせる」のだと思います。
そうそう、あのボディライトニングを学びに来られる方たちも、最初は「誰かを癒やしたい」と意欲に燃えられるそうですが、次第に、「まず自分自身を癒やしたい……」と正直に思うようになられるとか。
ところが、それはそれで葛藤になったりするんだそうです。
「自分を癒やす」それって、一番当たり前の事なのに、どこかで自分は「癒やされるよりは、癒やす側の人間でいたい」という願望があったりするのですね。
それででしょうか? ときおり、「ヒーリングという行為は、無償で行なわなければいけない!」と頑なな意識を持ってしまう人が現れるのは。
代価としてお金をもらうことを「不浄な行為」と捉えているのでしょうね。あるいは、お金自体を汚いモノと捉えているのかもしれませんね。
よく、「ボランティアは、こうでなければならない!」とか、「自分がさせてもらっているのだから、当然、何も求めてはいけない!」と決めつけている人がいますが、それと同じことですね。
ボランティアも「癒やすこと」も自分に合ったスタイルや考え方があっていい、と思うのですが。
囚われも、自分を掴んでいる“執着”であることに気づいてくれれば、自由になれるのに。その事に気づくことも「自らの癒やし」に繋がっていくのでしたね。
それに、代価とか、方法とかは問題ではないのですよね。肝心なのは、あのマザーテレサが言われたように、「そのことにどれだけの愛を込めたか」どうかなんですね。聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さんも「コンパッション……、思いやり」が中心にあるかどうか、とおっしゃておられましたね。
「医は仁術」という言葉も、無償を意味するのではなく、「思いやり」が介在しているか?を問うた言葉だと聞きました。ええ、ブラック・ジャックさんからです。
「ヒーリング」という言葉の持つ響きが、何か自分を特別なものに導いていくれるように思えるのでしょうか。
……まるで、特別な存在でなければ、誰も自分を認めてくれない、と思い込んでいるように。
人は、「生まれてきた」それだけで、もう十分に「祝福」されているのに、ネ。
“特別な存在”と言うなら、人間ほど宇宙で特別な存在もないそうですね。
何度も何度も同じ処をぐるぐると回って、争うことを止めずに自滅してきたのに、それでも、誰よりも愛されているのですから。
……きっと、人が自らを癒やしていく、そして、同時に他人の「痛み」に気づいていく、それが当たり前になる日が来ることを何十億年も待ってこられたのでしょ。
ああ、気の遠くなるようなお話です。
まだまだ、光よりも闇の方が見えてしまいますが、夜明けの前の暗さなのでしょうか。
朝晩、めっきりと寒くなってまいりました。
どうぞ、お身体にお気をつけて、ゆるゆると人間をお導きください。弥勒菩薩さま。
敬具。
2008年 10月8日
皆様、最近はどーですか?
どーもこーもないですか?
かくいう私もあーでもこーでもなかったのですが、少しずつ、周囲が変化してきているなあ、と感じています。同時に、時間もあんまりないかなあと感じたりして、どうしたらええんや?とちょっと焦ったりしています。あっ、時間が少ないのは、僕にではありませんが……。