お告げ – 107

月よりの使者
♪~どーこの誰かは、知らないけれど、誰ーもがみーんな知っーていーる。月光仮面のおじさんは、正義の味方だ! 良ーい人よ~♪
……いよいよ中秋の名月ですがな。
満月を見ると、なんや、こう、血が騒ぎよりませんか?
ワテなあ、昔、月光仮面に憧れてましてん。
オモチャのサングラスをかけて、風呂敷を首に巻いて、三輪車でピュウッーと。使命は、町内の平和を守る正義の使者どした。
そして、敵は、敵は……? あれ、誰やったんやろ?
……そう言えば、みんな“正義の味方”には成りたがっていましたけど、誰も悪役は進んでやらんかったもんなあ……。
ええ時代やったなあ。
もし、正義の味方同士が、ぶつかりあったら、やっぱり互いに相手は、“悪者”になってしまうんやろか……。
人は皆、自分の中に“光の指針”のようなものを持っている。
それを“良心”と呼ぶときもあるけれど、どちらかというと、「自分で、こうありたい自分」って感じ。
けれど、それを実行に移す、あるいは現実的に目指していくのは、難しい。
なぜなら、「こうありたい」と人が言うとき、「そうではない自分」が前提としてあるからだ。
例えば、健康な人は、「健康になりたい!」とは言わない。たいていは、病気の人が言うのだ。その時、すでにその人の中には「自分は健康ではない」と断定している自分がいる。
“自分を限定する”そのエネルギーは、とても強くて、人はその“囲み”をなかなか破れない。
だから、“外の力”に頼ろうとする。
“自分ではない誰か”が救い出してくれるのを待っている。
“救い出す”という言葉に抵抗があるなら、“変化”と呼び変えてもいい。
誰もが“変わること”を望みながら、同時に恐れている。
そして、“自分から」ではなく、外の力が“自分を変えてくれる”のを待ち続けている。
だけど、いざ他人が“変えてあげよう”と力を貸したりすると、途端に“余計なことはしないで!”という自我の抵抗が起こる。
……それは、どこかで知っているからだ。
外からの力では、自分は本当には“変われない”ことを。
自分の内側から湧き出る力だけが、自分の限定を破り、自分を真に解放してくれることを。
……結局、人は自分で自分を救いたい、のだ。
どこの誰かは知らないけれど、誰もがみんな知っている。
それは、自分の中の“もう一人の自分”ではなかったか……。
眩しくて強い太陽の光にはとてもなれないけれど、気がついたらそっと自分を解放してくれるやさしい月の光の“自分”を。
どんな人も、きっと持っているのだ……。
そう思うと、ぎりぎりだけど、人の世もまだなんとかなるかな? と思ってしまったりする。
2008年 9月17日
中秋の満月の名残です。秋来ぬと目にはさやかに……って、もうすっかり秋です。「今はもう秋、誰もいない海……」とトワエモアさんは唄っておりましたけど、必ず誰かがいてます。サーファーさんは冬でも棲息していますし。ああ、詩的に一人になりたい……。