お告げ – 103

誰も追い詰めてへんよ。自分で、自分を追い詰めてるんだよ……

人間はさあ、悲しいよね。
自分のことがたいていキライだから。

なのに、自分が可愛いかったりするじゃない。
でー、すぐに保身に走っちゃう。

自分は弱いんです! 無力なんです! 何にもできまへん! 私に期待なんかしないでください! 生きていてすみません!(太宰か!)って。
自己嫌悪に、自己憐憫に、自己愛、みーんな自己チューが生み出したオバケ。
でも、オバケだから、実体ってないんだよね。

幻に苦しめられて……、うなされて……、まるで覚めない夢みたい。

周りが素晴らしくて、なんか自分がとーっても惨めに思えてくる。
で、また自己憐憫から、自己嫌悪のフルコース。

ねえ、いつまでそうしているの?
じゃあさ、何のために生まれてきたの?

えっ? それがわかったら苦労しないって。そりゃそうだ。

一つの仮説だよ。
たぶん、人間は、みーんな自分の事がキライなんだよ。
キライで、キライで、どーしよーもなくて、でも、そんな自分の存在に「意味」を求めたくて……。
それで、「自分探し」みたいな本やおバカな金儲けセミナーにお金をつぎ込んで、結局、何にも成れなくて、また、自己嫌悪に陥ったりして……。

そろそろ、止めよーよ。


どうして、人間はこんな辛いことばっかりの世界に、何度も何度も生まれてくるんだろう?
……きっと、人間はね、自分を好きになるために、生まれてくるんだよ。
自分で、自分を認めてあげたくてさ。
 
 
……でも、どーやったら……?
うーん、確かに、それが問題。
わかってたら、みんなそうするもの。

例えば、誰か人のために、なんかしてみる。
そうね、イヤがらせとかじゃなくて、できたら人の喜ぶことを。

どんなことすればいいの? 
きっと、自分が人からしてもらったら嬉しいこと。
ほんの小さな親切。おせっかいギリギリかな。

相手の負担にならない程度のこと。
なんだろーね。
何すれば、喜んでくれるだろう?

あれ? 今、一瞬、自分の事、忘れた? 
忘れたよね。見逃してまへんで!

いつもいつも、自分が苦しいって、自分の事掴んでたでしょ。
でも、今、他人の事考えて、一瞬、自分を手放したよね。

人は、苦しいくせに、そんな自分を手放せない。
自由になりたい……、ラクになりたい……のに、自分を縛って、目の前の自由から逃げ出してしまう。
病気で苦しんでいる人が、早く良くなりたい!と思いながら、もう一方で、良くなりたくなんかない!と掴んでいるのと同じ。

それは、その方がラクだから。
自分を責めている方が、しんどくないから。
人からも同情されるし、大事にも、優しくもされる。
そうだね。こんなに苦しんでいるんだから、私はここにいてもいいよね、って。

そんなバカな! 
って、言い切れる?
自分を掴んでなんかいない! って、断言できる?

自分を掴んでるから、キライになるのでしょ。
もし、自分を手放してたら、自分のことなんて、どーだっていいじゃない。

そう、結局、誰も追い詰めてなんかいない。自分で、自分を惨めになるように、追い込んでただけ。
そういうのって、独り相撲って言うんじゃない。


誰も責めていない。誰も嫌ってなんかいない。
神さまは、とーっくに許してくれている。そして、すべてを与えてくれている。
罪人なんかいない、から!

たった、一つだけ。
もし、あなたが自分で自分を掴んでいた、事実を認めるなら、すべて変わっていくよ!

……なぜなら、それが手放し始めた瞬間だから。
そしてね、それが自分を「許す」ってことなのさ……。


2008年 7月5日 真夏日になりました。花火に海水浴、行きたいなー……。