お告げ – 100

自我を超えるもの

……どーも。京都のおばはんどす。まあ、この幸福屋も100回記念や言うんで、京都のおばはんにまた登場してもらってくれ、というリクエストがあったよーな、なかったよーな……。まあ、細かいことは、よろし。ほな、ぼちぼちいかせてもらいます。

せやけど、今回も婆羅門はん、ごっつう気合い入ってまんなあ。「自我をこえるもん」やて。そんなもん、いったい、どーやって超えますのん?(以下、上沼恵美子調で)
だいたい、わたしら「自我」言うたかて、そんな難しいもん、わかりません。マジンガーZやったら、よう知ってますけど。
えっ、Self Consciousness(セルフ・コンシャスネス)ですか? ……そんなコンニャク、食べたことおまへんて。

なんや、よう「自我が強すぎる」とか、「自我で求めて、魂で見つける」とか言いますわな。
わたしら、難しいことわかりませんが、「自我」と「魂」って、どうやら違うもんやなあ、ちゅうことだけはわかります。
たとえば、ギャンブルやって、調子よう勝っていて、自我では「ギャハハハ」と喜んでいても、魂の方では、「どないしよう。このまま行ったらどうなるんやろ?」と脅えてたりしますやん。
それでも、本人は、「ええやん、自分が楽しんでんねんから。誰にも迷惑かけてへんし」と、自分の魂の声に耳を貸さんかったりします。

なんや、二重人格みたいに、心が二つあるみたいですけどね、まあ、そんなもんどす。

せやけどなあ、どんなに「自我」の方がムチャクチャやって、強そうに見えてても、魂の「計画」は、静かに着々と進んでたりするんやね、これが。
 
ある日、突然、ドカーンとショッキングな事が起きたりして、まあ、たいがいは、自分には都合の悪いことですけどね、「あかん、どないしよー」と自我がオタオタしているところに、魂の方はニンマリしてたりするんですわ。

なんや、そう聞くと、魂ってメチャメチャ性格悪いみたいに聞こえますけど、ほんまは、「おまはん、何の為に地上に生まれてきたんや?」ということをドリフのイカリヤ長助さんみたいに耳元でネチネチと囁き続けるんですわ。
あっ!、やっぱり、性格悪いやろか。

ほんでもって、気がついたら、自我は、魂の導く方向にまんまと乗せられよるんですわ。

ほんまはね、痛い目なんか見んと、ラクラクと魂の計画に乗らはったら良えんやけど、まあ、「自我」はんは、自分の事を正当化したり、嫌悪したりして、そら素直やないさかい、魂の声に簡単には反応しませんわ。
 
せやから、自我を壊すには、論理が必要ですねん。
ジョーシキとか、世間一般の価値観とか、自分の周りに固めたバリケードを取っ払う作業が要ります。

特に、今の人間が、自我を壊そうと思たら、自分を納得させるだけの「科学的な論拠」とか、「論理的思考」が要ります。ややこし話ですけど。 

それは、論理で、一つ一つ、自分で納得していくことで、自ら、バリケードを解除していく作業みたいなもんですわ。
ある意味、ニュータイプ。いや、自分で自分を良い意味で壊していく感覚やろか。

たとえば、「朝ご飯食べんと身体に悪い」とか、「肉食しないとビタミンB12は、摂取できへん(最近、ベシダリアンの方が何倍も腸内にビタミンB12の量が多いと医学的に発表されました)と、自分で固く信じていたジョーシキや価値観が、単に自分が「本当のこと」を知らなかっただけや! ということがわかったとき、自分を縛っていたヨロイみたいなもんが一つ剥がれますわな。 
そうやって、幾つもの「自分という幻想」を壊していくんやね。

その途中で、たいていは、一度、「自分自身の殻」を初めて意識するんやけど、今度は、「自我を失う」のを恐れて、尻込みをしてしまいます。

いわゆる、「変わりたいのに、変わるのが恐いの」ちゅう、キューティハニーのような気持ちやろか。

けど、あんさん、前から言うてますやろ、「変わった先の自分」が何を好むのか? は、今の自分には想像もつかへんのどすえ。
 
また、自我は直感を嫌います。真実を突きつけられたら、オタオタしてしまうんやね。
それと、日頃から、理論武装とかしているために、論理的に攻められたり、納得してしまう理屈にメチャメチャ弱い、という弱点もあります。
まあ、詐欺に引っかかったり、マルチ商法にダマされたりしますのも、欲に目がくらんで、というのもあるけれど、一見、論理的に思える話術にコロッとダマされるんですわ。それは、結局、自分の構築してきたものに、根本的に自信がないからやろなーと思います。

そら、そうです。所詮、自我で作り上げた論理など、砂の上に立てたお城みたいなもんですから。
真実の持ってる力には、かないまへんて。

で、結局、そんなことして、自我をイジメて、何のトクがあるんや、と京都のおっちゃんやったら、そう思いますわな。

そこですがな! ワテの言いたいことは! ちゃんとトクしまっせ。「幻想の自分」が作ってきた生き方や価値観は、結局は自分自身を縛ったり、苦しめたりしてきたんでしょ。それを根本的に解放していく作業の中に、新しい価値観を見つけていく喜びや、自分が本当に望んでいた、求めていた人生を生き直していくダイゴミみたいなもんがあるんどす。

せやから、「自我を超えよう」という思いは、知らず知らずのうちに、人の内側から湧いて出てくるんどす。
そのきっかけが何かは知らんげとね。
まあ、今回は、これくらいで許しといたるわ。

なんや? 最後に幸福屋はんから一言、言わしてやて。ほな、どうぞ。
おおきに、京都のおばはん。なんや、しゃべっているうちに、ようわからん処もあったけど、基本的には、自我を壊していく作業は、人それぞれに「魂がちゃんと準備してある」ちゅうことやなーと思いましたわ。意図的には、論理的思考で崩していく、ちゅうのも面白いとは思いますけどね。
まあ、迷うことにも、意味があって、迷ってきたんやろから。
けど、そんな時間ももうないかなー、っと。

 
2008年 4月9日 昨日のアラシが去って、今日はほんまに良え天気どした……。