お告げ – 03

カニは、人を黙らせる……
中国は、偉大な国である。
特に、何でも食べる無限の「食欲」に関しては定評がある。
曰く。四つ足はテーブル以外皆食べる……、と。
こんなジョークがある。
もし、UFOがやって来て、中から宇宙人が現れたらどうするか?
アメリカ人は、握手とジョークで自分の国に有利な約束を取り交わそうとする。
宇宙船の技術と、なんにもない荒れ果てた土地との交換を申し込むのは、ロシア人。
日本人は、おじぎをして、愛想笑いをしながらアメリカの出方を見る。
そして、中国人は、「食べてみてから考える―」、とか。
まことに中国四千年の重みである。
ところで、中国の人もカニを食べるときには、無口になるのだろうか?
ヨーロッパでも、楽しい会話をしながら、食事をするのがマナーである。
しかし、カニの時には、どうするのか?ぼくは、アメリカでも、ヨーロッパでもカニを食べたが、やはり皆静かだったように記憶している。
堅い甲羅や脚の殻を割り、中からカニ肉をほじくりだしているとき、その時、人は「職人」になっているという。
余計な事は言わず、語らず、ただひたすらに、カニに取り組む。
それは、芸術家の沈黙にも似ている。
赤い脚から、ぷるぷるとしたカニ肉が現れたとき、「幸せ」を感じるのは、私だけではないだろう。
逆に、甲羅ばかり大きくて、中のお肉がちょっぴりだったとき、人生の無情さえ感じてしまう。
カニすきは、人生の縮図であると言う人もいる。
どんな人も哲学的にしてしまうカニ……。
今から、七〇〇年もの昔、鎌倉時代の歌人、藤原定家は、「宇宙のカニ」を目撃した。
彼は、「明月記」にこう記している。
「東の空、おうし座の方角に客星が現れた。大きさは、木星のごとし」
その客星こそは、現代に知られる超新星、カニ星雲の爆発の瞬間だった。
定家は、夜空のカニを見て、沈黙したのだろうか……。
ところで先日、知人たちをカニ料理に招待した。
食事が終わって、レストランの支配人が請求書を持ってきた。
うむむむむむ……