お告げ – 02

映るな、目立つな、先を行け!
売れない芸人がいた。
彼の名は、……えーっと、なんだっけ、……すまん、忘れてしまった。それほどの、一目見ただけで忘れてしまうほど、「売れていない」芸人だった。なんでも、たけし軍団の一員だという。さらに、一人亀甲縛りという、なんだかよくわからない技を使ってマンザイのコントをやるのだという。で、おもしろいのか? というとそうでもない。
彼は、自分がどうして「売れない」のか、疑問だと語る。時代がまだ自分に追いついてこれないのではと、秘かに思っているのかもしれない。
そんな彼の、「座右の銘」がある。
「映(うつ)るな、目立つな、一歩引け」
テレビで観ていたぼくは、この言葉の重さに、思わず感動してしまった。
「のど自慢」でも何でもいいから、テレビに出たい人間が満ちあふれている世の中で、お笑い芸人が、自ら「テレビに映る」ことを戒めているのだ。いったい、何のための「芸能人」なのか(てゆうか、ほんとに芸人?)。
そして、「目立つな」とは、願望達成をうたい文句にする精神世界セミナーが説く「自己主張をしましょう」の逆を行く姿勢であることは言うまでもない。だが、多くの人は「目立つ」ことの本当の怖さを知らない。人々の無意識の嫉妬や否定的な想念は目立つ人に襲って来やすい。週刊誌にすっぱ抜かれてダメになったタレントの恋は無数にある。有名人になり、目立ったために、身に覚えのない悪口や陰口をたたかれることもある。また、楽しみにしていた計画がつぶされたりする。あなたに経験はないだろうか? 夏休みに海外旅行を行くんだと友だちにしゃべっていたら、突然、計画がつぶれてしまったとか。昔から言う。「計画は、深く、静かに、潜行せよ」と。
さらに、トドメは、「一歩引け」である。
不世出の柔道家、後にブラジルのグレイシー柔術のルーツとなった前田光世(ブラジル名をコンデ・コマ)を生んだ講道館の創設者、嘉納治五朗は言う。「押さば、引け、引かば、押せ」と。水前寺清子も唄っている。「押してもダメなら、引いてみな」と。
うーむ、これは、何を意味するのか?
私たちの日常は、しばしば極端を選んでしまう。激辛に激甘、白か黒か、と。その結果、中庸を忘れる。
中庸は、人に「客観的視線」の大切さを思い出させる。自分が世の中のある価値観のフィールド(磁場)にはまっているとき、人は自分自身が見えなくなる。かつて、O宗教事件で「洗脳」された人たちも、自分自身が見えなかった。
だから、「一歩引いて、自分を見つめる」ことが大切となる。
それほど、この言葉は、「真理」である。
……しかし、「売れたい」芸人にとっては、致命的かもしんない。
そこで、ぼくは、その言葉に改良を加えてみた。
それが、この「映るな、目立つな、先を行け!」である。
「人に知られることなく、邪魔されることもなく、常に時代の先を読んで行動しよう」。
おっと、忘れちゃいけない!
善い計画だけが、本当の実を結ぶってことをネ!