お告げ – 05

三度の飯より、悪魔ばらい
街角で奇妙な光景に出くわした。
人がものすごく並んでいるのだ。
ユニクロのバーゲンで並んでいるのではない。映画を見るために並んでいるようだった。
なぜ、人が並んでいるだけで、それが映画を観るため、と解るかというと、別に私が金田一の弟の孫だからではない。映画館が前にあったからだ。
ともあれ、人々は並んでいた。
しかも朝早く、まだ映画館が開いていないのに、である。
その映画は、『エクソシスト』だった。
20世紀を代表するホラーである。ホラーと言っても、長年の便秘で苦しんだ人が、最後に幸福な死を迎える話ではもちろんないぞ。
カンディド・アマンティーニ神父という、バチカンに実在したエクソシスト(悪魔ばらい師)をモデルにした、リアルな「悪魔憑き」映画である。
最初の封切りは、今から20年前。
今さら、と思ったが、観ていない人には新鮮らしい。
そして、私は、そんな「現象」にも、ふかーい意味を感じてしまうのだ。
人は、知っているか知らないかに関係なく、無理矢理にでもチャネリングしてしまう存在である。
じつは、厳密に言うと人は、神様か、悪魔か、そのどちらかの波動と四六時中チャネリングしている。
神様とつながっている時は、当然、心は清らかで美しい。多少の事には腹も立てない。まさに、「金持ちケンカせず(?)」の心境である。
しかし、悪魔の波動の影響を受けているときには、ちょっとしたことで人を、世の中を、呪いたくなってしまう。
人間は、そのどちらかなのだ。
まるで、善と悪に揺れる天秤のようなもの。そんなことを言うと、極端に聞こえるかもしれない。そのどちらかでもなく、「中間」の時はないのか? と。
じつは、ナイ! それは、人が「思考」や「意識」というエネルギーの海の中で暮らしている存在であるからだ。私たちは、いつも何らかの精神的エネルギーの干渉を受けている。近くにヤキイモ屋がいると、お腹が鳴るのもそのためであることは言うまでもない。
もちろん、チャネリングは無意識に行なっているのだが、自発的に神さまにつながることも、積極的に悪魔に合わせることも可能である。
本人の選択なのだ。
別に無防備だから「悪魔」とつながるわけではない。無意識の時にも、普段の「自分さえ良ければ……」という自己中心的な心や、他人の幸福を喜べず、妬んでしまう心が、悪魔的な波動を呼び寄せるのだ。それは、相互作用とも言うべきものだ。
反対に、感謝や心からの反省、思いやりの心には、光よりも早く、エイトマンよりも早く、神の波動は近づいてくる。
ハレルヤ! である。
ハルマゲドンが、こんな形で進行していることを知る人は少ない。
自分がどちらの波動と一緒にいたいかは、自明であろう。
ときおり、「魔がさす」ことを可能な限り、減らしたい。
これからは油断ができない。
さあ、自分の意識を常にチェックしよう。
秋田のナマハゲどんは言う。
「悪い子はいねーが、祓う子はいねーが……」