お告げ – 72

楽観主義か、悲観主義か、ああ、それが問題じゃ
コップがあるじゃなーい。そこにビールが半分だけ入っている。
そんな時、あなたなら、どう思う?
「誰が飲んだんじゃい!」
って、違うでしょ!(ツッコミ)
普通はさあ、
「ああ、まだ、ビールが半分も残っている」
「どげんしよう、ビールがもう半分しかなか!」(花丸調で)
と思ったりするよね。
現象だけを見れば、コップのビールはどちらも半分。けれど、その捉え方一つで、その後の道は、大きく変わっていくね。
「まだ半分も」と言う人は、最後の一滴まで楽しめるに違いない。
けれど、「半分しかない」と言う人は、無くなっていくに連れて、惜しむ気持ちが増え続けるだろう。
どちらの人が、「正しい」という次元の話ではない。どちらがポジティブでしょうかと、おバカな質問をするつもりもない。
それは、サザエさんとあたしんちのママと格闘技で戦わせたら、どっちが強いか? と聞くに等しい。
ただ、人生は、時に、楽観的に、時に悲観的に、自分を客観視しながら「どう、おもしろ楽しく生きられるか」だと思うよ。
よく、起業家を目指す人などに、「最悪の事を考えて、それから行動しろ」という人がいる。
確かに、「取らぬ狸の皮算用」という言葉があるように、ビジネスで「甘い計算」をして失敗して泣いちゃった人たちは多くいる。
ならば、その人は、「悲観主義者」かと言うと、そう単純には割り切れない。なぜなら、悲観主義者は、起業など目指さないからだ。
「どうせ、何をやってもうまくいかない」と思っていたら、怖くて起業など出来ない。
その人たちは、「悲観的予測」をして、常に対策を怠らない、楽観主義者なのだ(ああ、ややこしやー)。
人生が何もかも思い通りに行くなら、誰も苦労などしまへん。
けれど、人生は予測不可能。だから、不慮の出来事に対して、予防措置や対策を考えながら、「夢」を見るのだ。
と、すれば、その人は、基本的には「楽観主義者」なのだ(やっぱり、ややこしやー)。
悲観主義者の証明は、「夢」を見ないことだ。
なぜなら、「夢」こそは、人生を前に進めていく、「生きまっしょい!」と後ろからケリを入れてくれる、活力源だからだ。
もし、あなたに何の「夢」もなければ、「悲観主義的」な境地にいると思っていい。
ただし、「夢」があっても、あきらめていては、やはり、それは、「悲観主義的」状況なのだけど。
けれど、「どっこい、夢が無くても生きている」という次元で見た場合、そこには、「生きなければならない」的な強さがある。
それは、人生では悲観的でも、生きる強さに関しては、楽観的なのだ(もう、わけわかりまへーん)。
「禍福はあざなえる縄のごとし」とも、「縛られた女はボンレスハム」、とも言うように、不幸に思える出来事の中に「真理」や「学び」が隠されていたり、幸福にひたっている中に、「無関心」や「自己中心」が隠れていたりする。
楽観主義と悲観主義、
僕は、結局は、同じ所に辿り着くのではないか、と思っている。
最後に幸福屋から一言。
友人に、妙齢の美人がいる。その彼女が子どもの頃、商店街の福引きで、「手づかみの小銭取り」に挑戦したという。箱の中には、100円、50円、10円、5円、1円玉がザックザク。箱の上部には、丸い穴が開いていて、手がそこを通るには、少ししか掴めない。しかし、彼女は、できるだけ100円を中心に吸い寄せて、おもいっきり掴んだという。当然、手は穴の縁につっかえて抜けない。で、彼女は、どうしたものか、と思案し、「ええい、いったれい!」と、思いっきり手を引き抜いて、手の皮が剥けたそうな。でも、銭はしっかりと掴んでいたそうな。
諸君は、ここから、どんな教訓を学ぶだろう? ポコペン。 (2007,2,21)
★最近、観た素敵な映画をご紹介しますね。
タイトルは、『ありがとう』
ドキュメンタリーの雄、伊勢真一監督が25年間をかけて、姪っ子の奈緒ちゃん(てんかんと知的障害を持って生まれた)をずっと撮り続けた映画です。とても、いい映画でした。奈緒ちゃんを通して一つの家族を25年間撮り続けるって、それだけでも伊勢監督の愛と平等な視線を感じました 。また見に行こうと思います。
西村一家が神社の前で祈っているシーンで、奈緒ちゃんは「あったかーい」と無邪気に言い、お母さんは 「奈緒ちゃんの病気が治りますように」と祈っていたのが、結構、胸に来ました。昔、アメリカのドキュメンタリーで、輸血からAIDSに感染した子どもの母親が、インタビューアから「あなたの願いは何ですか?」と聞かれて、「少しでも、子どもと一緒に生きることです」と答えたのを思い出しました。自分が先に死んでいくことで、後に残された子どもの未来を心配している場面とダブったのです。
……最新のBLなら、とも思いました。知的障害者にも精神障害者にも、もしかしたら、一つの光明となるかもしれない、そんな予感はしますが、先はまだ大変そうです。
映画の後、伊勢監督と土岐小百合さんという方のトークがありました。伊勢監督が、「奈緒ちゃんが、“やさしく、ナアに、って言って”と言う時、“やさしく”という言葉が“なあに?”に掛かっているんですね……」と意味の「深さ」みたいなものを感じているんですと話されていました。
伊勢監督は、一人でも観てくれる人を、この映画をご紹介くださいと頼まれていました。観客は僕を入れて6人で、男は僕一人でした。厳しいです。 それで、このホームページにも紹介させていただこうと思ったのです。映画は、3月2日(金)までですが、もし、お時間のある方は、観に行ってくださいね。
【データ】
「ありがとう ~奈緒ちゃん 自立への25年~」
2006年/105分 監督:伊勢真一 プロデューサー:渡辺哲也 撮影:石倉隆二 照明:箕輪栄一 録音:渡邊丈彦 音楽:横内丙午
「作品紹介」てんかんと知的障害を合わせも持つ奈緒ちゃんの、8歳から32歳までの25年間を、地域社会を舞台に、家族、仲間達との絆にスポットをあてて描いたドキュメンタリー。監督は、奈緒ちゃんの叔父である伊勢真一。「長くは生きられないかもしれない」と医者に言われていた奈緒ちゃんも、30歳を超える年になった。家を出てグループホームへの自立を考え始めた時、父は定年退職、母も第二の人生について考え始める。「自分たちが元気なうちに奈緒ちゃんをグループホームへ自立させたい」と願う反面、30年以上も家族の中心に居た奈緒ちゃんが居なくなってしまうことに戸惑いを感じる家族。奈緒ちゃんだけでなく、家族それぞれの新たな自立への一歩が始まる。