お告げ – 73

祭りのあと

「まるでお祭りや。けどな終わらん祭りはない……」
映画『UDON』で、ウルフルズのトータス松本が、「うどんの聖地巡礼ブーム」に湧く四国の町の喧噪を見て、つぶやいた言葉である。

よく食べに行っていた、カレー屋が店を閉じた。
北海道で火のついたスープカリーを東京でも流行らそうと、某企業が実験的に展開したお店だった。
ランチにミニ・ラッシー(名犬ラッシーではありません)を付けたり、サラダをサービスしたり、ポイントを貯めると一杯無料のイベントを考え、積極的に集客に努めたお店だった。

けれど、三年目で店を閉じてしまった。
ようやく、周辺の住民にも認知され、定着してきた感がしていた矢先の事だった。

「どぼじで?」 あんぐりと口を開けて聞いたワシに、「会社の方針で、この業界からの撤退が決まったんです」と店長が、泣いた。
従業員たちも「口惜しいです」と口々にカレーくさい口で言う。

数年前、フランスの某ランジェリーメーカーに事業コンサルタントとして関わっていたワシは、その気持ちがよーくわかった。
二年半で一店舗から15店舗にまで、販路が開けた途端のことだった。

そのときも、ワシは「どぼじで?」と聞いたら、「本社の決定でおます」とフランスなまりのワインくさい口で言われたっけ。

「これから!」という時に、突然、終わりが来たりする。
そういうことは結構ある。
まるで、天の声のように、本社の偉いさんの命令は絶対だったりするが、いつも「正しい」とはかぎらない。

なぜか?
ビジネスの正否は、現在現れている数字だけでは決まらない。
「気配」のようなもの、まだ、現れてはいないけれど、「もうすぐやってくる兆し」みたいなものは、数字には表れないが、現場で働いている人間には、「なんとなく」というお告げのようなものでわかったりすることがあるからだ。

ただ、それを数値として出せないために、「もうちょっと待っておくんなまし」と言えなかったりする。

「事件は、現場で起こっているんだ!」と叫んだ、踊る大走査線の織田祐二も同じ気持ちだったに違いない(そうか?)。

店じまいをする最終日、そのカレー屋は満員だった。次から次へと客が押し寄せる。「これでもか!」というくらい。
「こんなに流行ってんのに!」と誰もが思う光景。
きっと、今日来た人も含めて、店が無くなって初めて、「あの店、良かったのに……」と残念に思うにちがいない。某ランジェリーショップが日本から消えた時も、「どこで買えますか?」という問い合わせがデパートに殺到したらしい。

人は、無くなって初めて、その大切に気づく。昔の人はええこと言わはった。「孝行のしたい時に親は無し」と。

アニメの「ルパン三世」も「機動戦士ガンダム」も、最初の放送時には、低視聴率で人気もなかった。それが、終わってから、みんなが「あれ、良かったで!」と騒ぎ倒して、今の人気に繋がったのである。

で、ワシは何が言いたいのか?
「孝行をしたい時に親は無し」あっ、これはもう言いましたね。

ドップラー効果である。ものすごいスピードのレーシングカーが、通り過ぎて、音だけが耳に鮮烈に残る。けれど、その時には、すでに姿は見えない。
人は、本当に「良いもの」をなかなかリアルタイムでは「見えない」「気づかない」「わからない」という三重苦になってしまっているのだと思う。
この世には、気づいてもらえない「良いもの」がいっぱいあるんだよ。ワシの本とか!?。

だから、えーと、その、「祭りのあと」は寂しいもんやのう、というこっちゃ。

最後に幸福屋から一言。
「お金になる」それだけで多くの出来事が決まる。でもね、「お金にならないもの」の中に、本当の世の中を動かしていく「力」があるように、思うんですわ、ワシ。