お告げ – 78

「想い」を「執着」にではなく、「祈り」に昇華させる方法

まあー、よく、「後ろ髪を引かれる」と言ったりしますわなあ。
そう、自分が何かに未練があって、そこから立ち去りがたい時なんかに言う言葉でんがな。
けど、目に見えない人から、ホントに後ろ髪を引かれたりしてたら、どないしますぅ? 

あー、怖ッ! って、あんさん、冗談と違いまっせ。
 
この世には、さまざまな「想い」がありますなあ。
……で、やっかいなのが、人に対する「想い」やね。

「好意」もあれば、「悪意」もある。
まあ、どちらも、その想いが強すぎると、捕らわれて、自分で自分の首を絞めてしまいます。

「想い」が、いつの間にか、「執着」に変わってるからですなあ。

たとえば、誰かが、誰かを心配する。
「元気にしてはるやろか?」
「どないしてんねん?」

その程度やと、微かなテレパシーが届くくらいですむんやけど、「私がこんなに心配してること、知ってるんやろか?」と、
思い始めると、髪の毛がゾワゾワゾワーと伸びて、相手の身体に届いて行きマンネン。
その時、相手は、「背筋がザワッ」とか、「なんか、不吉な感じが……」と、気づいたりしますなあ。

そらもう、「あたしゃ、生霊(いきりょう)かい!」ちゅうくらい、オトロシーもんでおます。

人は、自分が心配していることを相手の人が知らなくてもええんとちゃう?

理由は、「重い」から。

そんでもって、自分自身も重くなって、沈んでしまうから。

……確かに、「止めようのない想い」というのは、ある。それは、ワシにもわかる。
けどなあ、いつまでも、それでは、あんさん、前に進まれへんのと違いまっか?

人の「想い」は、「祈り」に変わったとき、美しいモノへと変化していく。

では、どうやったら、そんな器用な事ができまんねん?

……今の事象に身を置いている、その事を、深く見つめ直すこと。
なぜ、いま、自分はここにいるのか? 何の為に? どういう御縁で? 
自分はいったい、何を願っているのか? そして、それは、本当の自分の願いなのか?
もし、「こうでありたい」自分なら、どう考えるのか?

……それは、まあ、孤独な作業で、おますわなあ。

けどな、それが、自分の生に「一期一会」の姿勢ちゅうもんで、おます。

そこから、今の事象、それがどんなに苦しいもんであっても、「感謝」が生まれてきよります。

そのとき、人は、「進化」を目の当たりにしているのだよ。

最後に幸福屋から一言。
はて? いつから、このコーナーは、大阪弁で語るようになってしもたんやろ……?
ところで、最近の『仮面ライダー電王』は泣けるで!
「ワシの強さにお前が泣いた!」と仮面ライダーが言うと、怪人が「誰がじゃ! 泣いてへんわ!」と、言い返しますねん。
思わず、涙が出ますわいなあ。

  

2007/7/4