お告げ – 96

「自己愛」のつよーい人!

ハイー! 当たるも八卦、当たらぬもホッケ。うちのは、炭火でよく焼けてオイシイよー。
これこれ、そこのお人、子泣きじじいを背中にくっつけて歩いているそこのお方、そら人生、重いなー。石やから。
それに、そこの「自分を変えたい!」と秘かに思っているあなた。
ワシが手相を観てしんぜよう。

いやいや、遠慮することはない。
趣味で、観ておるのじゃから。呪いをかけたりはせんから。たま-にしか……。

さて、「自分を変えたい」と想う人は、世の中にはきっとたくさんおるじゃろう。
今の自分を「よくしたい」と。「必ず、悪くなってやる。グレてやる」と言う人は少ないと思うけど。

けれど、自らの意志で「変える」ことは、そう簡単じゃない。気がついたら、「変わって」たりすることはあるけどね。
「変える」のには、「勇気」がリンリンといるのじゃよ。

なぜなら、今の自分と向き合わなきゃいけない。
それは、とても怖い。イヤな自分をいっぱい観そうだから。

それでも、決意してみる。
「今日の自分は、昨日の自分の続き。明日の自分は、今日の自分の続き。アーホイホイっと」

明日、自分が変わっていたいのなら、今日で昨日までの自分を断ち切るしかない。
やり方は、難しくない。
「明日は変わっていよう」と言葉に出して言うだけ。
で、明日になったら見事に変わっているか? と言うと、世の中それほど甘くない。
そんなに簡単に変われたら、苦労はせんわ!

でもね、その言葉は「目覚まし時計」のように、本人が忘れても、脳に記憶される。そして、少しずつ、ほんとーに少しずつ、歯車が動き始める。
毎日のように、寝る前に、自分に言い聞かせてみてちょーだい。
気がついたら、自分の好みや考え方、感じ方など、何気ない部分から「変わって」いるから。

ところが、世の中には、「自己愛」のつよーい人がいて、なかなか本当には自分を変えられまへん。
まあ、自分を掴んでいるんやなあー。

それは、「自我」が驚くほど強いから。
  
自我のつよーい人は、「変わりたい」と同時に「変わりたくない」と自分自身をしっかりと掴んでいるから。
そういう人は、何度も何度も元に戻ってしまって、なかなか「変われない」。
それが、「自己愛」の強さ。
何、テレてまんのん。「自分を愛してる」んと違いまっせ。どっちかと言うと、自分自身を怖がっている。人を傷つけるのでは、壊してしまうのでは? と。それで、一生懸命に自分を殺して、人に合わせてきただけとちゃいますか?

日頃は、人に気を遣って一生懸命に合わせたり、人の面倒見が良かったりして、とても「優しい人」、「愛深い人」のように見えたりしますけど、その人は、ほんとーは自分を「出す」のがとても怖いんやね。

ほんとーに、自分を「愛する」ことのできる人は、自分自身をどんどん変えていける。良いところも悪いところも、素直に認められて、変えようと思うことが出来る。それが、ほんとーの「自分を愛する」ちゅーことですなあー。

ならば、「自己愛」から脱出する方法は、
自分が「掴んでいる自分」は、どんなもんじゃろ? とまず向き合ってみることやろね。
そこから、始めないと、外に向かって、「誰かー」と叫んでも役に立ちまへん。
そして、次にね、その「掴んでいた自分」は、果たして、本当の自分なんやろか? と疑ってみることですわ。

もしかしたら、「怖がっていた」自分は、「そう思い込んでいた」だけの悪い夢みたいなもんやったりしますから。

いっぱい掴んでいる人は、いっぱい手放していけば、よろし。
 
そのとき、「自分を苦しめていた自己愛」は、まぽろしとなって消えていきます。


最後に幸福屋から一言。
あんまり大上段にかまえて「自分を変えよう」とか思わないでええんとちがう。「変わる」時は、変わるから。
そしたら、今回の「お告げ」は意味ないやん! そう思う? ふぉっふぉっふぉっ、まだまだ甘いのう、おぬし。
変わるとか、変わらんとか、ほんとーはどうだってエエねん。自分を手放していく、そのことが一番大切なんやから。
まあ、力入れんと、キバリなはれ!  
「あー、助かりましたわ」って?
いやいや、お礼は、ほんの大戸屋の海老かつ定食でよろしいから。


2008年 2月15 明日は、そうかー、東京マラソンかあ。まだ寒いのに……、マラソンって、自分自身との闘いなんだと思うよ。「変わる」ことのようにね。