お告げ – 98

自己嫌悪の正体

ビョービョーと砂嵐が、足下までくるむように襲ってくる。
強い風だった。身体が風に押し返される。
夕闇のせいか、それとも、風に舞う砂のせいか、視界はほとんどない。
一寸先もまともには見えないのだ。
それでも、旅人は、足取りをゆるめない。
一歩一歩、自らの足を、歩みを確かめるかのように、砂の大地を踏みしめて、歩くのだった。
 
と、突然、それまで荒れ狂っていた砂嵐が、ウソのように止んだ。
旅人は、自分の周囲が急に明るくなったような気がして、立ち止まった。
……確かに、辺りの砂が光っていた。
 
目の前に巨大な黒い壁が立ち塞がっていた。
岩山? いや、曲線の感じから、何かの建造物のようだった。
動物の前足を模した彫刻のようにも見える。
旅人は、目をこらして上方を仰ぎ見た。

「まさか……!」
信じられないほど巨大な獅子の体に人間の顔が乗っていた。
その頭部らしき二つの目の所が、旅人を睨むように光っていた。
 
「……人間よ、人はなぜに自らを傷つける?」
旅人は、一瞬、自分の頭を疑った。直接、声が頭の中に響いてきたからだ。
声は尚も続いた。
「遙かな過去から、人間は自らを嫌悪し、憎み続ける。どうしてなのだ? 私は、存在してより、ずっと考え続けてきたが、答えは得られなかった……。おまえに、それが答えられるだろうか? もし、答えられたら、星への道を示してやろう」
 
旅人は、マントの砂をはらうと、その場に腰をおろした。そして、腰から、キセルを取り出すと、乾燥させたチコリーの葉っぱを詰めて、火を灯した。
空間に甘い香りが漂い、一筋の煙が上がっていった。
いつの間にか、頭上には月が昇っていた。上弦の月だった。
その淡い光に照らされた旅人の顔には、長い年月、共にしてきたであろう深いシワが刻まれていた。
「さあて……、人間はどうして自分を憎む……か? フフ、難しいのう……」
旅人が、ふうっと煙を吐いた。まるで、彼自身のため息のように……。


さあー、旅人さんは、どう答えるのでしょうねー(「世界の車窓から」の石丸謙二郎 のナレーションで)。
きっと、人が、自己嫌悪に陥るとき、それは、自分自身に定めた「何かの基準(良心みたいなモノや)」に自分自身が反する、あるいは、到達できない、ことに対してのイラ立ちのような感情なのではないでしょうか?
言い換えれば、それは、自分に対する「思い入れの強さ」、「強固な自意識」みたいなものの反動かも。
時に、「自我の強さ」としても現れたりしますねー。

そういう人は、得てして、「自己愛」が強いものです。
「自分を愛してる」んじゃないですよ、残念ながら。
意味も根拠もないプライド(たいていは、コンプレックスの裏返しだったりするんですよ、コワイですねー)から、「本来の自分」に高い理想を抱き、その理想の自分と現実の自分とのギャップの違いに苦しみ、自らを嫌悪していくんですねー。

「自分はダメだ!」と思い込む、それも本当は、根拠のない断定にすぎないのですよ。しかあし、そんな自分だからこそ、自分を信じることも出来ず、さらに「憎しみ」が自分に向けられていく。
その先に待っているのは、「自己破滅」という名のステーション。
いっそのこと、「破壊」なら、壊してしまうことが「きっかけ」になって、「変化」できることもあるのですが、「破滅」は、自分の「執着」を手放すことが出来ないまま、自らを呪い続ける為に、自分で未来のあらゆる可能性を摘み取って行くのですねー。
 
それって、とーっても「自分を掴んでいる」から、起きてくる葛藤なんですねー。
そのことに気づけると良いのですが……。

では、なぜ? 自己嫌悪するほど、自分で自分を掴んでしまうのか? 謎ですねー。

じつは、私は、そこに「ヒント」が隠されているように思うのです。
知りたいですかー?

いやいや、簡単には教えられませんよー。なにしろ、人類の大弱点みたいなものですからねー。

それはね、「恐怖」です。戦争や、あらゆる不幸は、恐怖から生まれてきました。
恐怖と言っても、「今日、麩の味噌汁」じゃないですよー。
何に対しての恐怖なのか? 「自分を変えることへの恐怖」なのではないでしょうかねえ? 

「えーっ? 自分で自分をキライなら、変えてしまえばいいじゃない!」
そんな声があがりましたね。ふむふむ、誰でもそう思うでしょ。
でもね、そうじゃないんです。
「掴んでいる」からこそ、キライにもなるし、変えられない。……変えたくない、のかな。
つまりぃ、キライでいる方が、変わることよりも、その人にとってはラクなのかもしれません。

「執着」は、「愛」とは真逆のモノ。どこまでいっても、その人を本当には導いてくれません。

では、どうしたら……。

自分で考えてごらん。答えは、自らの内にあるから。
何の「条件」を付けないでも、ありのままの自分を認め、受け入れ、そして、愛してくれる存在が……。

  
最後に幸福屋から一言。
スフィンクスじゃあないけれど、どうして、人間は同じところばかりをグルグル回ってるのでしょうねえ。あんまり回ると、バターになっちゃうのに……。

2008年 3月6日 桃の節句も終わったし、櫻の葉っぱの巻いた道明寺まんじゅうも食べました……。