お告げ – 123

幻 痛
まあ、ごきげんさんやねえ。京都のオバハンどす。
……この前から出ずっぱりや。ネタなくなると、すぐにうちのところに回って来よるから、ブツブツ……。まあ、しゃーないか。
えーっ、いよいよ、入梅の季節どすな。あんさん一度、宇治の三室戸寺におこしやす。そら、紫陽花が美しゅうて、ええ眼福になりますさかい。
北鎌倉にも紫陽花で有名な明月院ゆうのがありましたな。なんでも、箱根には、紫陽花を見ながら登っていくちゅう紫陽花列車(登山鉄道が期間限定でそう呼ばれる)というのがあるそうですわ。紫陽花で金儲けしよーちゅうのんがちょっと気に入らんけど。
それでも、雨に濡れた紫陽花は、風情がおますな。
ところで、皆さんは、紫陽花の英語名って知ってはりますか?
ハイドランジャー ごっつい名前でしょ。昔、ウルトラセブンに出てた深海潜水艇の名前どした。それで覚えてたんどすわ。
……じつは最近、わたしねえ、人間の「自我」ほどやっかいなもんはないなー、と思とるんですわ。
なんでや言うとね、人間の霊化に反発して、「怖いいいー」言うてしがみつきよりますねん。「変わるの絶対イヤヤー」言うて。
たとえば、霊化が進んでいくとね、本来は自分の内側に自然に目が行くようになるんですわ。今までは、外に“原因”を求めとったのに。
なんでかと言うたら、ちょっと難しい話やけど、霊化によるオーラの周波数変化で脳が開き、認識力が拡大するんやて聞いてます。それで、モノゴトの本質に目が行くんやろね。
例えば、病気になってもね、今までは薬や医者やー言うて頼ってたのが、「なんでこんな病気になったんやろ? 何があかんかったんやろ?」言うて、自分の生き様を振り返ったりするように、なるはずなんどすわ。
それやのに、「とにかく自分と向き合いたくない!」言うて自我の奴は、「自分の内側覗くのイヤヤー!」って、駄々(ウルトラマンに出て来たダダ星人とちゃいまっせ)こねよりますんや。
それで、たいがいの人は「痛いー」言うて、逃げようとする。なんでや言うたらね、ほら“痛み”って、わかりやすい現実ですやん。
「こんなに痛いんやから現実に違いない!」言うて、何も考えられへんわー言うて逃げられますやん。
そうして、たいがいのお人は、自我にしがみついて変わることに抵抗してはる。
でも、それってほんまは、「変わってきている」というのをある意味自覚したり、敏感にキャッチしてるんやろね。反動やね。
あんさん、こんな話聞いたことあります?
事故か何かで、手や足を失った人が、ときおり、無いはずの手足が痛んだりするんやと。
それって、オーラ体は残っているから、あり得るんやけど、ほとんどは「記憶」のせいやね。
その時の事故の「痛み」をいつまでも掴んどる。
人は、手放したいはずやのに、しっかり掴んで手放さへんかったりするんよ。
例えば、ずーっと何かで“痛かった”人は、その痛みが消えることを願いながら、痛みが消えることに対して恐怖を持ってしまうやねえ。
せやから、ボディ ライトニングか何かで痛みがすーっと消えると、最初は喜んでるのに、時間が経つと“不安”にかられ、「やっぱり、こんなんウソや」言うて自分で痛みを再現し、それで“安心」したりしまんのや。
ガンやったお人が、ボディライトニングを受けてガンが消えたのに、「そんなん医学的にあり得へん!」と自ら否定して、なんにもないのにガンの低振動だけが再現されて、MRIなんかで検査したら、あたかもそこにガンがあるように映るんどすわ。
「やっぱり! ガンは一度なったら消えたりするかい!」と、なーんも知らん医者の傲慢な罵声を浴びて、病気はやっぱり現実なんやと思ったりしてしまうんどすわ。ところが実際にはガンは消えてるから、“痛み”も消えてるはずなんやけど、人間は自分で「腑に落ちる」までは疑い続け、痛みも持ちつづけて、“安心”な生活が送れると喜んではる。
けったいなことでおますなあ。人間の複雑さというか、なんというか……。落語家の桂小枝はんやったら、こう言いはりますやろなあ。
「アホか! アホちゃいますううう!」
ほら、夢の中で階段から足踏み外したりすると、途端に現実でもガクゥッてなりますやん。
それとおんなじように、現実には何もないのに、“痛み”を訴えたりする人は結構多いんですわ。ほんま難儀なこっちゃ。
じゃあ、どないしたらよろしねん? って聞かれたら、
答えはいたってシンプルなんどすわ、これが。
耳かっぽじって聞きなはれ! あのな、夢から覚めたらよろしいねん。
現実には何も無かった。自分の記憶や恐れで、“痛み”を掴んでしもうてたんや、と気がつくことですねん。
するとやね、あれほど辛かった“痛み”が不思議とピタリと納まって、いつの間にか消えてしまう。
それは、別の見方で言うと、「自我」を克服したんやろね。
ところが、ギッチョンチョン。今度は“痛み”が消えたこと自体に不安になったりするんどすわ。
どんだけー、同じ処をグルグル回りたいんどっしゃろ。
バターどころか、発酵バターになってしまうで、ほんま。
けれど、それでも、何度か“痛みが消えた事実”と向き合うてるうちに、さすがの自我も抵抗を止めて、「認めますわ」となったりしますねん。
そうなったら、しめたもんどすわ(締めたフンドシとちゃいますよ)。
「変わる」スイッチモードに突入どすわ。
180度変わったりするお人も、最初はこんなんやったりしますから、やれやれ神さまも根気のいることやねえ。
2009年6月6日(土)
……日本では新型インフルエンザのニュースがウソのように鎮まったでしょ。けれど、世界ではWHOがフェーズ6に突入したと発表していた。報道管制? 本当の事が広まるとパニックになるから? ワクチン二千万人分の用意って、二千万人が感染する可能性があるってことなんじゃ……。いつの世も本当の事は知らされないんだね。いや、人々も知りたくないのか……。
なんでも、某有名作家の新刊が一日で68万部も売れたとか。出版社も史上始まって以来の記録だとか。
人々は何を求めたんだろう? 僕には、「変わらなくても、そのままでも、大丈夫」という安心(気休め?)を求めて殺到したように思えるのだけど。
そうかあ、だから、僕の本は……。
何度も言いますけど、いろんな意味で、自己免疫力を上げた方が良いように思います……。