お告げ – 127

……猿の手

……その木箱には、不気味なミイラ化した手が入っていた。
指が異様に長く、肘がいびつに曲がっている。人間のものではなかった。形状からして、どうやら猿の手らしかった。
「……どこで、こんなものを!」
男の女房は脅えて言った。
「古物商の店の改装を手伝っただろ。その仕事賃の代わりにもらったのさ。どんな願いも3つだけなら叶えてくれるという魔法の腕だそうだ。しかし……」
男もさすがに木箱の中身を見て、あまりの気味わるさに気が失せていた。
「願いですって!」
“願いが叶う”と聞いて、女房が色めき立った。
「なんにしようかしら……? そうだわ、お金がいいわ。お金なら使い道に困らないもの」
女房の言葉に、夫も頷いた。
「賛成だな。この先、遊んで暮らしていけるだけの金が欲しいな」
二人は、猿の手の不気味さも忘れて、一心に祈った。しかし、特に何も起こらなかった。
女房はふぅーっとため息をついて、
「何も起こらないじゃない! あなた、からかわれたのよ」
と亭主をなじった。
その夜、寝静まった家の戸をドンドンと叩く者があった。
ドアを開けると、そこに初老の紳士が立っていた。
「どなた様で……」
女房の言葉をさえぎって紳士が言った。
「わたくし、保険会社の者です。言いにくいのですが、御子息が交通事故に遭われて……」

数日後、夫婦のもとに莫大な金が届いた。
女房は、うつろな目で札束の詰まったトランクを眺めながら、
「……まだ願いは一つしか叶えてもらっていないわ。そうだ! 息子を返しておくれ!」
女房は猿の手に一心に祈った。
その夜、家のドアを叩く者があった。
「帰ってきたのよ! マサオが帰ってきたのよ! 早くドアを開けてあげなくちゃ!」
喜ぶ女房を腕で抱きしめながら、亭主が哀しそうに言った。
「もうワシらの息子マサオはいないんだ! 現実を見るんだよ、おまえ」
「いいえ、あの音が聞こえないの? あの子が帰ってきたのよ!」
女房は亭主の手をふりほどくと、ドアに駆け寄った。
そして、鍵を外して戸を開けた。
そこに立っていたのは……。

「お父様、お母様、ただいま戻ってまいりました! 事故に遭って一時は大変だったけど、ほら、見て、マサコはとっても素敵になりました!」
そこには、フリルのピンクスカートに銀色のドレスシャツに身を包んだ、ニューハーフになって帰ってきた元マサオが立っていた……。


えーっ、皆さん、ご無沙汰いたしました。なんやかんやで忙しくしておりまして、えらいすんまへん。
いきなりなホラーな展開に、一時はどうなるの? と固唾を飲みはった人、多いんと違ゃいますか?
有名なW.W.ジェイコブスの『猿の手』という怪奇話がおます。願いを三つ叶えてくれるという「猿の手」を手に入れた老夫婦が大金を望むと、一人息子が戦死して、望んだとおりのお金が入ります。悲しんだ夫婦は二つ目に「息子を返してほしい!」と願うのですな。すると、真夜中に息子が墓場から蘇ってきて家のドアをトントンとノックしますねん。その姿に驚いた夫婦は、三つ目の願いで墓に戻ってもらうというお話どした。

昔から、「何かを手に入れたら、その代わりに何かを手放さなくてはならない」みたいな事をまことしやかに言われてますやろ。
「等価交換」みたいな。マンガの『鋼の錬金術師』でもそんな事を言うたりしてます。
一般に、人は「Give and Take 」の方が信じられるんでっしゃろな。
無償の愛とか、見返りを求めない、てなことを言いますと、かえって怪しんだりしますもん。
なるほど、「タダほど怖いもんはおまへん」と昔から言いますさかい。

ジェイコブスの『猿の手』は、一見ただのホラーに見えますけど、霊学的に解釈してみると、なかなかに興味深いでっせ。
人が、日頃から「欲しい、欲しい」と思っているもの、それは、「本当に大事なモノ」を失ってまで欲しいもんやろか? と問いかけてきてはるんですな。
銀河鉄道の灯台守が「あなたの本当に欲しいものは何ですか?」と聞いてくるのと本質的には同じ事なんどす。

けど、たいがい人は、無くして初めて気がついたりしますねん。
そして、もう元には戻れないことを。
「覆水、盆にかえらず」ですか……。

せやから、そういう失敗を防ぐには、「これを欲しいと思っている自分は、どの自分?」と自問自答する癖、正確には、思考し続けている姿勢でっしゃろか、それを持たんとあきまへんねん。
けど、簡単とちゃいまっせ。ほれ、昔、女優の桃井かおりはんが「知性って、すぐに眠くなんのよね」と本のコマーシャルで言うてはりましたけど、「知性」とは、思考し続ける事のメタファー(比喩)ですから。そいで、「眠くなる」のって、本能でしょ。それは、感情のままに考え、感情で動いてしまうちゅうことなんですわ。
 
これを「自我」と「魂」と見るとわかりやすくなります。
知性とは、魂の求める思考や行動、眠くなるのは、魂の欲求に蓋をしてしまう行為。まあ、現実には、眠ることで初めて「自我」が弱まって、魂が起き出すんですけどね。けど、実際には自我は「潜在意識」の中で目を覚まします。そこで、たくさんの人の自我意識や記憶や願望とか、また、自分でも知らなかった欲求とかが結びついて、妄想を生み出したりします。それが、普通の人が一般に見る夢の正体なんやね(予知夢とか特殊な夢は違いまっせ)。

それで、その間、魂はどうしてはるのか、水野晴夫? と言うと、肉体から抜け出して、人生の軌道修正をどうしようか?と。そのまんま東知事のように「どげんとせんといかん!」と常に考え続けているんよ。ほんま、ご苦労さんどす。自我がわがまま勝手な夢を見て喜んでる時でも、真面目にコツコツ働いてるんやね。涙出ますわ。
 
「魂を受け入れたら(手に入れたら)、自我を手放さなくてはならない」
それは、等価交換より、難しいかもしれまへんなあ。


2009年9月17日(木)
……9月9日の重陽の節句が過ぎましたね。さて、皆さんの周りで、気づいたことありますか?
額がジンジンしたりしません? 
それにしても、新型インフルエンザは日を追う毎に感染の範囲が拡がっているように思います。
それでも、マスクしている人の方が全然少ないでしょ。これって、何なんだろう? そう思いません?

猿の手は要りませんが、「ネコの手」なら要るかなあ。
別に肉球フェチじゃないのですが。
そうそう、『猫ラーメン大将』という映画を見ました。
ヌイグルミのネコの親子の確執を描いたドラマです。
頭にリボンを付けた、キラキラ星のようなお目々のアイドルネコが、じつはスパルタのオヤジネコで、その声を「巨人の星」の星一徹の声優さんがやり、その息子のダメネコの声を星飛雄馬役の声優さん(今の人にはガンダムのアムロ役の方がわかりやすいかも)がしているのがなかなかにシュールでした。「バカモノ!」、「とうちゃん!」会話だけ聞いていると、まるっきり「巨人の星」でした。