お告げ – 133

地球が泣いているって……?
映画『アバター』がアカデミー賞を受賞したってね。
えっ! 確か前に……ってデ・ジャブーみたいだろ。フフフ。
いやあ、でもあの映画に出てきた惑星パンドーラの森は美しかったね。
植物と水が溶け合って、まるで世界全体が緑色の海の底、そんな感じ。
日本だと、そうね。雨が降ってる6月の屋久島の森がそんな感じだろうか。緑の森に飲み込まれそうな気配。暖かく、たっぷりと湿ったコケが海苔のような匂いがするんだ。
ところでさあ、よく「地球が悲鳴をあげています」って精神世界(もう死語?)的な人が言うでしょ。 あと、エコロジーの人たちも。
「これ以上、地球を傷つけるな。自然を保護しよう!」って。
……けれどね、人間はこれまでも、そして、これからも地球を護ることなんてできやしない。自然を守ってきたのは、いつだって地球だった。人間は、自然を壊すだけ。
そして、地球が人間も護ってきてくれた。
気の遠くなるほどの過去から。
さて、今、地球は悲鳴をあげているのか? って聞かれると、正直、「人から解放されて喜んでいる」のが実情。
なぜなら、もう「変わろうとしない」人間の進化を辛抱強く待っている必要が無くなったから。
地球は地球で、銀河系に呼応して独自の進化の道を歩き始めた。
太陽が今、始めているように、核の膨張と収縮を繰り返し、自らの震動(周波数)を上げながら、惑星としての「転生」を果たそうとしている。
それが2012年に完成するとしたら……。
かつてのマヤの予言では、2012年に世界は終わるとされた……。
でもね、それは一つの解釈にすぎないかも。
周波数が違ってしまった未来の地球を過去の人間がキャッチできなかっただけだとしたら……。たとえば、ラジオのFM放送で固定されていたチューニングが、突然周波数が変わったら、そのチューニングでは電波をキャッチできなくなるように。
次元が変わってしまった先。直角に曲がった先が見えないから、そこで終わりだと思いこんでいただけなのかも。
いい? 人間にキャッチできるのは、人間に近い存在だけ。人間を遙かに超える知性や存在はキャッチすることができない。たとえ、ヒマラヤに住むとい
(ほんまかいな?)仙人でさえ、視ることのできるのは世界のほんの一部。自分と同等かちょっと上の次元の存在はキャッチできても、何十億年以上もの開きがあるととても追えないし、存在の痕跡すら辿れない。
だから、よく映画やマンガや小説にあるような、「むっ、東の果てで弥勒様が降臨なされた!」みたいなのはないんだよ。
だって、人は、弥勒の正体すら知らないでしょ。
さてさて、今、地球で、そして、宇宙で起きていることは、地球上のどの預言にも記されていない出来事。起こるべき未来は、本来なら来るはずだった未来は、ある時点から突然、変わったと言える。そうね。例えて言うなら、黒雲が重く垂れ込めてきて、雷様がゴロゴロ鳴って今にも降り出すか! と思っていたら、急に雲が消えて晴れてきたような感じかしら。
だから、かつての先住民も宇宙人と交信していると言う怪しい隣人達もこの地球の変化を本当には知らないのだよ。
……で、地球はね。とても喜んでるんだ。
もう人間を待たないでもいいからね。自由、気ままにやっちゃってください、って感じ。
そう、人は置いてきぼりをくっちゃったのかも。
さあ、大変だ。銀河鉄道に乗り遅れちゃう。「カンパネルラ、僕たちはどこまでも一緒だって約束したじゃないか!」のジョバンニの気持ち。
さあ、どうする。どうする。
人よ、人間よ。
……もし、人が進む道が一つあるとしたら、未来の地球に同調の出来る人間に転生するしかないだろうね。
どうやって? うーむ、それが問題だ。
ただね、人間の脳の容量を考えると、まだまだ人間には余力が残っているんだと思わざるを得ない。ほら、よく聞くでしょ。生涯7パーセントしか使わないって。でも、使う必要がないならもっと小さくていい。つまり、進化(生きながらの転生)の道が残されている証拠。
方法はいろいろとあるかも知れない。あるいは、たった一つしかないかも知れない。
それでも、道はある。求めれば、扉は開く。
世界よ。古いコート(事)は脱ぎ捨てて、新しい響きの下に集まろう。
なーんてね。
2010年7月4日(日)
「陽気で、たんたんとして、しかも己を売らないことをと、我が魂の願ふことであった」そう詠ったのは、詩人、中原中也だった。
孤独の中にだけ、真実の扉が開かれる。その真理は、今も昔も変わらない。
人にもはや選択肢は無いのかも知れない。進むか、消えるか。
それでも、魂が望むなら……。そんな声を聞くことが最近多くなった。