今週のお言葉 – 25

言霊は、忘れた頃にやってくる……
「あいたたたた……!」
……また、アレが来た。
突然、右の腰骨の上にバキン! という衝撃が稲妻のように走ったかと思うと、背筋が曲がって真っ直ぐに立てなくなった。
とてつもなく痛い! おそるおそる、這うようにして洗面所の鏡をのぞき込んだ。
背骨は、途中から右に曲がっていた。
地球の重力を感じて、とても立っていられない。
加えて、激しい痛みが、背中全体を襲う。
別に、重いモノを持ったわけではない。無理な運動をしてヒネったわけでもなかった。
何もしないのに、ちょっとした拍子に、それは起こったのだ。
原因は!? 、私は、必死に考えた。
知らない人は、ただのギックリ腰じゃない?、と、思うだろう。
ギックリ腰のことをよく知らないので、判断しかねるが、ギックリ腰って、はたして背骨が途中から右に曲がってしまうものなのだろうか?
以前にも同じ現象に襲われた。
その時は、さんざん痛い想いをした挙げ句に、自分が「感謝」を忘れていたことが原因だと判明して、ようやく助かった。
(詳しくは、『人生を変えるヒント2』に書いてありますので)
あの時、私は、病気の原因が確かに「心」にあることを思い知ったのだった。
では、今度の原因は何だろう?
「感謝を忘れた?」
だが、何度、許してくださいと懺悔しても背中は伸びなかった。
「仏の顔も三度まで」?。
寝ていると痛まないので三日ばかり寝たきりになった。祈っていれば、きっと治る!と思っていた。
けれども、一向によくならない。
友人に電話をしてみた。
すると、「やっぱり!」という答えが返ってきた。
なんでも、数日前に、私が強い 「否定的な言葉」を吐いたから、心配していたのだと言う。
そう、思い出した。
確かに、吐いていた。世の中を憤る言葉を自分に向かって吐いた。
その時、ある物事が望むように動かない、そんな焦りから出た言葉だった。
そして、私の身体に、その言霊の破壊的な力が跳ね返ってきたのだ。
二年前に倒れたときは、「想念の毒」が原因だった。
今度は、言霊か!
言霊の力も知ってはいたのに、……私は何度も同じ過ちを犯す。
さすがに、我ながらイヤになった。
深く、今度こそ、ふかく反省した。
その時から、背骨は真っ直ぐに伸び出した。
ただし、一瞬では治らない。自覚が深まるに従って、治るようだ。
自分のために祈ってくれる人たちがいたからこそ、気が付けたことにも、改めて実感した。
私たちは、誰もが大いなる力と意思によって「生かされている」。
人がそのことを自覚しようと、しまいと、その事実は変わらない。
けれど、自分は何のために生まれてきたのか? という「問い」は、誰の中にも眠っている。
そのことを、自分が、「気づく」ために、自分の身体に知らせるのだ。
神さまが罰を与えるのではない。
その日一日にあなたが発した「想念」と「言霊」とを振り返り、眠る前に祈って浄めることをお勧めしたい。
自分に反省すべき事がなかったかどうか。
私の「痛い」体験から一言。