今週のお言葉 – 28

GIVE アンド GIVE アンド GIVE アンド GIVE ……
……一人の少年が、学校の教室の中、黒板に向かって白いチョークで何やら図のようなものを描きだした。
「最初の一人が、自分にとって一番困難だと思える“良いこと”を三 人の人間にする……」
少年の言葉に、静まりかえる教室。
「そして、その三人が、それぞれ次の三人に“良いこと”をつないでい く……。そうすれば、“良いこと”が順番に伝わっていって、世界は“ 良くなる”んじゃないか、と思うんだけど……」
先生が、「君はどうして、そんなことを思いついたの?」と聞くと、少年はこう答えた。
「世の中はクソだから。……それでも、こうなれば少しはましだと思えるから」
社会科の教師が出した課題、「どうすれば世の中を変えることができるのか?」に、一人の少年が思いついたアイデア。誰もが理想だと笑った。しかし、やがて、それは、全米中に拡がっていく……。
映画『ペイ・フォワード 可能の王国』(原題 Pay It Forward )。
雑誌などでかなり評判になったから、映画館やビデオでご覧になった方もいるだろう。
私もレンタルで観た一人である。
私たちは、この競争原理の社会の中で、「Give アンド Take」だと教えられてきた。
相手から何かを期待するなら、自分から与えよと。
または、「与えた分だけ、返ってくる」と。
それは、何気ない日常のお中元やお歳暮、「お礼」という形でも浸透しきっている。
上の図の「人のピラミッド」は、経済のピラミッドでもある。資本主義の原理だ。
それを功利的な面だけを取って極端に展開したのが、いわゆる「ネズミ構」である。一番末端の人は、何も得られず、一番上の人だけが肥え太っていく。
だが、世の中には、「無償の愛」がある。
子どもに「何かで返してもらう」と期待して愛情を注ぐ親は少ないように、「与えっぱなし」というのは、本当は誰もが知っていて、経験もしている。けれど、それを意識的に日常の中で、為しえる人となると、マザーテレサやガンジーのような人しか思いつかなかったりする。
「Give アンド Take」は、「損をしたくない」という「欲=恐れ」の変形だと思う。
自分だけが与えっぱなしで、というのは、なんだか損をするように思えるのかもしれない。
しかし、その「損をする」という感覚こそが、社会の「罠」なのだ。
与えれば無くなるから……、本当は、誰も損などしない。むしろ、与えれば与えるだけ、与えられるものは増えていく。
問題は、「何を与えるか」である。
物や金銭は、与えれば、確かに減っていくように見える。だが、本当は、あなたから消えたように見えるだけで、与えた人の所に「移動」しただけなのだ。
それを次の人が受け取る。どこまで行っても、あなたの「与えたもの」は、移動して行くだけである。
それを「御縁」と言う。御縁が動いていく。
物質や金銭を「エネルギーとして観る」ことの大切さがそこにある。
それは、何にも「執着する必要のない」ことを教えてくれる。
だが、本当に「与えると良い」ものとは、いったいなんだろう?
人にとって「良いこと」が、別の誰かにとっては「良いこと」でなかったりする。
それは「正義」に似ている。
良いと思ってしたことが、かえって人をダメにしてしまう場合もある。
ヒントは、「どうすれば世の中を変えることができるのか?」という課題に隠されている。
世の中を変えるには、自分自身が変わるしかない。
「自分にとって一番困難だと思える“良いこと”」とは、自分自身を“良く”変えることである。
欠点や弱点、偏見を克服していく。そんな試練を自分に「与える」。
三人とは、キリスト教の三位一体(父、子、精霊)であり、天、地、人(自分)でもある。「三人よれば文殊(天)の知恵」という寓意にも取れる。
また、自我、心、魂の統一でもある。
自分が“良く”変われば、それは、次の人に影響を与え、さらに与え続けていく。
それこそが、本当のPay It Forward である。
【蛇足】映画『ペイ・フォワード 可能の王国』は、少年の尊い犠牲のお蔭で、その運動が本格的に全世界に拡がっていくという、あまり好きではないラストになっている。そこが唯一気に入らない。死んで初めて人々が気づくという、お決まりのパターン。もう、そんな誰かが犠牲になる世界は観たくない。
だから、私は『こどもの大統領』が好きなのだ