今週のお言葉 – 68

光が通る! 闇よ、道を開けよ!
自分らしくいられたら……。
いつも、そう願う。
でも、「自分らしく」の「自分」とは、いったい、どんな自分なのだろう?
「こうありたい」と願っている自分なのか、それとも、「自分の気持ちに正直」な自分なのか?
どちらも「自分らしい」ようでいて、まだ、自分ではないようにも思う。
たとえば、「人に良く見られたい」とか、「人にどう見られるか」と、いつも気にしている人がいる。
常に、誰かの目を意識して、おどおどしている。
「ハイ、私にはそんな“癖”があります。人に嫌われるのが怖くて」と。
親の言葉や家庭環境、そういう内的・外的な影響で、知らず知らずのうちに「身に付いた」習性はあるかもしれない。
けれど、それはやっぱり、「自分らしい」生き方や姿じゃない。
私たちは、いつも他人と関わって生きている。
関わり合う人に対して、微妙にカメレオンのように「色」を変えて、接している自分が居る。
Aさんに対しての顔と、Bさんに対しての顔は、きっと違う。もし、AさんとBさんが、「自分」の事を話し合ったら、別人の話のように感じるかもしれない。
「でも、自分でも、どれが本当の自分なのか、一番自分らしい自分、なのか、なんてわからないです……」
そんな声が響いてくる。外から、内からも。
「自分はこう思います」とか、「自分はこんなふうに感じました」と言うときでも、人は、無意識のうちに、「こうありたい」と願う自分を演出している。
日頃、何気なく過ごしている自分が、一番「素の自分」では? と思う時もある。
ぼーっと、あまり深く考えることもなく、ただ、だらだらと日常を時間的に過ごしていく……。
だとしたら、あんまり、大したことはないなあ、アハハハ。
しかし、「素の自分」でさえ、本当の自分と言えるかどうか。
「自分に正直に生きる」とは、「どの自分」の気持ちに正直に生きることなのだろう?
「自分に正直に生きたい」と願って、思うとおりにしてみた結果、自分らしくなかったなと、ハッとさせられることは多い。
……だとしたら、人はどこかで、「本当の自分」や「どの自分が自分らしい」のかに気づいているのではないか?
ただ、それを「うまく表現できない」ために、自分をつかみきれないだけではないのか?
どんな人も、転生を繰り返して、地上に居る。
その道程で、幾つもの「自分」に接してきているにちがいない。
そうして、玉を磨くように、いろんなでっぱりを削ったり、こすったりして、修正してきたのだ。
すべては、「完全なる自分」になることを目指して。
それは、どこかで、その姿を知っている、から、できる作業である。
遠い、遠い、記憶の中で、夢見ていた「自分のあり方」を……。
どんなに絶望が押し寄せてきても、
どれほどの孤独を感じても、
たとえ、信じている人に裏切られても、
決して壊れない、崩れない、「自分」が誰の中にもいるのだ。
それが、すべての「ニセモノの自分」を一瞬のうちに消していく。
「闇よ、道を開けよ。光が通る!」と。
そのとき、人は、「自分らしい」と言うことの、本当の意味を知るのかもしれない。
☆仕事仲間の友人達と屋久島に行ってきました。2005年の3月に行ってから、ちょうど一年ぶりに。
季節の関係か、あいにくと梅雨前線が停滞し、しかも台風が近づいていて、滞在期間の五日間はまるまる雨という予報でした。
鹿児島空港に着いたら、やはり雨。かなり激しく降っていました。でも、高速バスに乗って、鹿児島港に着く頃には雨はやんでいました。
しかし、屋久島には大雨洪水注意報が出ているとか。去年は、白谷雲水峡(もののけ姫の森)に行くとき以外は晴れていたのに……、と残念な気持ちに。
けれど、高速のジェット船が屋久島に近づくにつれて、晴れてきたのです。
宮の浦港で出迎えてくれたレンタカー屋さんが、「昨日までものすごい雨だったんだですよ」と。
その夜は、永田の浜でアカウミガメの産卵を見ました。暗くてよく見えなかったけれど、ウミガメの涙もわからなかったけれど、タマゴの大きさに驚いたり、足の裏に感じる砂浜を楽しんだりできました。月も星も出ていたし……。
翌日は、懐かしの縄文杉に逢いに。
太陽が照っているのに、ときおり、雨がパラつく変な天気。雨具のいるほどではなく、かえって火照った身体を少しクールダウンしてくれ、熱射病にならずにすみました、という感じかな。セミの激しく鳴くトロッコ道や山道を片道5時間近くかかって渡り、とうとう、あの縄文杉の場所に! 辿り着くと、不思議なことに、誰もいなかったのです。いつもなら、観光客でにぎやかな場所が、イエーィとポーズを取って写真を撮りあっているはずが、誰もいない。まるで、厳かな気配に満ちた縄文杉の空間に特別に招いていただいた気分でした。再会に喜び、思わず過日に剥がされたという表皮にBLをしてみました。
すると、10メートル以上離れていても、はっきりと気が震えるのが感じられました。
次の日は、白谷雲水峡へ。
朝からのどしゃ降りの中を雲水峡の入り口まで車を進めて、ドアを開けて降りると雨が止み始めました。
そして、歩くごとに晴れ間が拡がっていくのです。昨日からの雨で水かさが増し、通行止めになっていた場所も通れるように。濡れ光るコケが緑色と白色の混じったようなオーラを吐き出していました。それが、もののけ姫の森でした。倒木をびっしりと覆う緑色のコケたちが、歌うように、芳香を放っていたのが印象的でした。
そして、雲水峡を出て、駐車場に向かっていくと、雨がパラ付きだし、車の中に入ったとたん、滝のような雨に変わったのです。ああ、これでは、ホテル(屋久島いわさきホテル)の駐車場から入り口までほんの数メートルの距離でもびしょ濡れになるなあ、と心配していたのですが、駐車場に着いた頃、雨は止んでいました。
次の日は、一日中晴れ。めいめいが好きな時間を過ごすことにしました。
僕は、ホテルの私有地を散策に。そこで、飲み水に使っている滝を見たのですが、今までに見たどんな滝よりも神秘的な場所でした。二つの滝が川に流れ込み、しかも、奥の滝がちょうど良いカーブになっていて、その向こうにどんな景色が拡がっているのか?、熱帯のジャングルの川を渡っていたら、誰も知らない秘境に迷い込んだような、そんな錯覚を起こさせるほどの景観に思わず、ぼーっと見とれていました。もちろん、他の人にはナイショにしましたが(ウソ)。
最後の日は、リバーカヤック。安房川を一人乗り用のカヌーでさかのぼっていくのです。僕は去年に続いて二度目でしたが、他のメンバーは一人をのぞいて、皆、初心者でした。
でも、空模様は曇り。台風が上陸するはずの日でした。前夜から、空が稲光で何度も光っていました。
ところが、迎えに来てくれたYNACのエコツアーガイドさんが、「台風が直前でそれました!」と。我々は、もう何も言えませんでした。
不思議なことに、リバーカヤックをしている上空だけが晴れているのです。山には黒い雲がゴロゴロと。海も荒れていて、シーカヤックは中止になっていました。なのに、川はとても静かで穏やかで。潜ったり、河原で焼きそばランチを楽しんだりしました。
新しくできた、断崖から海が見下ろせるJR屋久島ホテルの露天風呂(ミョウバンの湯600円)でさっぱりして、空港に向かいました。途中、安房川の堤防を越えるほどの波が! それたとはいえ、台風の影響はやはりあるのでしょう。フェリーやジェットボートの運行は中止となっていました。来るときは、迫ってくる島を眺めたくて船にしたのですが、帰りは飛行機にしておいて正解、かな(そんな軽いもんじゃねーだろ!)。
結局、屋久島に滞在した5日間、雨に降られて濡れたことは、ほとんどなかったのでした。ポコペン。(Makoちゃんの屋久島日記より)