今週のお言葉 – 76

京都に雨が降る夜は……

今年2007年は、2月18日が、「春節」だった。
太陰暦の旧正月である。その日で、本当の意味の旧年が終わり、年が改まる。

その前日の17日は、お昼頃から雨が降っていた。
あるお寺で、真夜中の12時に、「新年を祝う」カウントダウンがあった。

僕は、いろいろな想いを秘めて、祈りに行った。
今年は、「正念場の年」のように思えたからだ。
そして、人が、自分の内側と向き合っていく、好むと好まざるとに関わらず……。

予報に反して、雨は止んでいた。
お寺の境内に続く階段は、すでに、ものすごい人だかりで、とても荘厳な雰囲気ではなかったが、長い線香を持って並んでいる人たちの顔は、灯明に映えて美しかった。

きっと皆、古い事への区切りと新しい「出逢い」を求めて、お参りに来たのだろう。

……12時近くになった。
吐く息が、白い。
気温が急に下がってきたようだった。
僕は、雨の上がった無明の空を見上げた。
夜なのに、不思議と「蒼い空」が見えたように思った。

やがて、カウントダウンが始まった。

「10、9、8、7、……3、2、1」
同時に、「新年おめでとう!」の声が交わされた。

異国の街のエトランジェ。
僕の祈ったのは、とても小さなこと。

……人は、きっと、自分のこと以外の事を祈った時に、透明になれる。
 
祈り終わって、帰る頃、ふたたび、雨が降ってきた。
来る前の「露払い」と、帰るときの「お清め」の雨か……。

結局、自分の意志で動いたように思えて、何か大きなものに動かされていたりする。
人が、自らの内に「宇宙」を抱くように、宇宙もその中に、一人一人の「魂」を抱いている。


……昔、京都の南禅寺で、雨の中を静かに歩く墨衣の僧達を見た。
春の夕暮れ時で、まだ雨は冷たく、霧雨の中を行く僧たちの姿は、お寺の瓦屋根の黒色と重なって、風景に溶け込んだ一枚の絵のように見えた。
 
その風景にとけ込めない自分が、どこにいても存在した。

けれど、人の心に降る雨は、時に、人をとても美しく浄化していく。
さればこそ、苦難は、誰にでも訪れるのか、とも思うのだ。

ああ、今夜もどこかで雨が降る……。 
 
(2007.2.22)