風の言葉 – 13

止まった時間
シンガーソングライターの泉谷しげるさんの歌に、『寒い国から来た手紙』という名曲がある。
「♪……冬の国から、都の隅へ、便りが届く。壊れた夢にしがみつかずに 早く帰れと……」
その書簡のような返歌が続く。
「♪……夢はまだ冷めてないから、しばらくここにいる。見果てぬ夢をただ追いかけて、ひたすら、ひたすら……」
すべての夜の静寂(しじま)の中で、「夢」を追いかけている人たちがいる。
一歩一歩、焦りながら、絶望と戦いながら……。
中には、自分が「求めているもの」、「追いかけているモノ」が、「夢」なのか、何なのかわからないまま、ジリジリと心を焦がしている人もいる。
「自分は、本当には、何がしたいのだろう?」と。
自分にはわからなくても、人から見れば、そういう人は、皆、「夢追い人」なのだ。
「夢」と言って、抵抗があるなら、「自分の気がすむために」と、言い替えてもいい。
そうなのだ。
この「気がすむ」か、「すまないか」が、ビミョーに大事だったりする。
人から言われて、「ハイ、そうですね」と簡単に納得できたり、あきらめられるモノなら、誰も追いかけたりしない。
自分でも、理由(ワケ)がわからなくて、「どうして、こんなに苦しいのだろう?」と思わず、涙がこみ上げてくる。でも、その正体もわからない。
「自分は、なんで、こうなんだろう?」と、独り、虚空を抱きしめる。
理解してもらおうとは、思わない。ただ、知りたいだけ。この「イラだつ衝動」が何なのか? を。
きっと、「気がすむ」まで、心休まることはないかもしれない。
答えは、「占い」なんかじゃ見つからない。正確には、外にはナイから。自分と向き合うこと、向き合い続けること、でしか、見つけられない。
でも、「きっかけ」のような「カケラ」には、出逢える。
その断片を拾い集めて、ジグゾーパズルのようにはめていくのだ。
……時は、誰にも等しく過ぎていく。甘くも、残酷にも。
けれど、その人の中の「時間」は止まったままだ。
「答え」が見つからないうちは、ネ。
そして、すべての人は、「気がすむ」ための唯一の慰めの言葉を口ずさむ。
「落ち着くところに、落ち着くさ」
それが、案外、真理だったりするから、始末に悪い。
確かにね。この世界にも、宇宙にも、「偶然」はないから。
……だからさ、「気が済む」まで、あがいて、もがいて、進むといいよ。
だって……、この地球で最後の……。
2007年11月11日 雨上がりの空に虹を探した日
追伸
近頃、美味しいカレーラーメンを探している。まず、カレーラーメンを出している店が少ない。それでも、雑誌やインターネットで東京成瀬、京都、神戸三宮のお店を探し当てて、トライしてみたけど、もう一つ「気がすまない」。友人の二宮の農業家Nさんと「おいしいカレーラーメンの店」の話をした。Nさん曰く。「名前は忘れたけど、横浜の伊勢佐木町の角にカレーラーメンを出しているお店があったなあ」と。
「名前、わからないの? 伊勢佐木町の角って言っても……」と僕。
「いや、角の店だから、すぐわかるよ」とNさん。
「最近、行ったの?」
「うん、二十年くらい前に」
「…………おまえの時計、止まってんのか……」