風の言葉 – 34

人間は闇に惹かれる……けれど、その奥で光を求めている


ひとつ、逆説を。
 「人間は、光なんか求めない」

 そう言うと、「そんなはずはない!」と多くの人の反発が来そうだけど、ほんとにそう……?
 本とか、映画とか、世間で言う“流行っている”モノは、皆、“闇”を感じるダークなものばかり。

 大量に人が死ぬ犯罪モノや残虐な暴力行為を「これでもかいっ!」ってくらい見せているモノは、間違いなくヒットしている。
 あと、とーっても悲しい話ね。不治の病に冒されても頑張る人とか、愛した人が、じつは異母兄弟で、愛しちゃいけなかった(韓流かい)ような話とか……。
 そして、なんてったって「滅びの話」。人類が滅亡に瀕するテーマや次々に人々が倒れて死んでいく話は流行っている。

 その昔、『オンゴロ』を出版社に持ち込んだ時、「とても良い話ですね。でも、いい話は受けないから……」と編集者に言われたことを思い出す。その時は、『そんなバカな』と感じたけど、……本当だった。
 世界的大ヒットの『ハリーポッター』の映画も回を追うごとに“ホラー映画”みたいになっている気がするのは、僕だけだろうか? 宣伝文句は、最高のファンタジーって云うけれど……。 『ナルニア国物語の第二章』では、普通の高校生の女の子が、なんのためらいもなく弓で人を討っていた。
 それもファンタジー(おとぎ話)なの?

 人はどうしてダークなものに惹かれるのだろう……。
 およそ、自分の日常にはない世界だから? お茶の間で“安心”して見られるから?
 ……けれど、秋葉原の通り魔事件や普通の人の家庭で起きている殺人など、現実はもっと悲惨で深刻だったりしている。

 僕は、悲しい話や恐ろしい話をわざわざ本で読んだり、映画館に見には行かない(ヒーローものだと思って見に行った、バットマンのダークナイトのように、『こんな人間の闇の本質を追究した映画だったのか、ウーム』と考えさせられたモノはあったけど)。
 なぜなら、現実にはイヤというほど悲惨や不幸があるから。フィクションまで悲惨なモノは要らない。
 今も戦争が続いている国では、戦争映画が流行るだろうか?
 夜、街に出れば殺人鬼に狙われる所で、異常犯罪モノは喜ばれるだろうか?


 人間の意識と世間で流行っているモノの相関関係をエネルギーで捉えてみると、おもしろいことに気がつく。
 人は確かに、“何か”をキャッチしているのだろう。
 例えば、『Xメン』や『ヒーローズ』などの、普通の人間がある日突然、超能力に目覚めていく、というのは、「人の進化」を感じているからなのか?
 ただ、その「進化」を外側に求めているから、“人間を超えるモノ”がスーパーヒーローにしかならない。しかも、内側の精神は、情に縛られたり、自分や外の価値観に執着している弱い人間のままだから、苦悩と葛藤に苦しむヒーローとなってしまう。

 すべての生物の「進化」は、最初に内側から起こる。それが外に現れるのは、内側の準備が整ってからだ。
 だから、怒りや悲しみの感情に振り回される人間が、“人間を超える進化”を得ることはあり得ない。
 それでも、人は、自分の身に迫る“変化”をキャッチし続けている。

 では、「滅び」もそうなのか?
 迫る地球の大変動を予感しているからなのか?

 そうとも言えるけど、そうとも言い切れない。
 大変動は、人間自身が招いているから……。

 例えば、どうして人は、光よりも闇を求めるのだろう?
 それは、自分自身への“自己処罰”なのではないか?
 「幸せになりたい!」と願う人が、同時に「幸せになりたくない」、「自分は幸せになってはいけない」と考えるのは、自己否定からだ。

 「この病気を治したい!」と切に願う人が、「病気のままでいなければ、自分など許されない!」と無意識に思うのは、過去の何の罪を想うのだろう。
 すべては、“掴んでいる”からなのだが、では、いったい何を掴んでいるのか?

 もしかして、「自分を罰して、償わなければならない」と決めつけているのでは……?。
 そんな人たちは、「何かを得ようと思ったら、何かを犠牲にしなければいけない」という言葉に惹かれたりする。
 あるいは、苦労して苦労して、やっと辿り着ける「スポ根もの」が好きだったりする。
 逆境の中から立ち上がって栄光を掴み取るヒーロー、もうダメだとなった時に発動するすごいパワーに憧れる。

 言葉を変えれば、それは、「一度は闇に染まって、そこから光を求める姿」である。
 人と人が争い合う世界で、初めて「真の平和」を求めるように。

 けれど、そんな「進化」は間違っているのだ。
 誰も、神さまも、そんな「受難」や「犠牲」など求めていない。
 人間が勝手に「自己処罰」を繰り返して、滅びを招いてきた。かつて、何度も、何度も……。

 ……その性癖は、急には変えられないかもしれない。
 相変わらず、光は眩しすぎるのかもしれない。
 闇は冷たくて心地いいかもしれない。

 でも、思い出してほしい。
 子どもの頃、「自分はぜったい不幸になってやるんだ」なんて一度たりとも思わなかったことを。
 闇が恐かったことを。
 さらに……。生まれてくる前には、「今度こそ、きっと幸せになってやる(当社比)!」と決意していたことを。

 人間は、本当は、いつも「喜びたかった」のだと。「幸せでいたかった」のだと。
 そして、光を求め続けていたことを……。

 
2008年9月8日 すっかり秋になってしまいましたね。でも、まだセミの声が聞こえます。「ツクツクオーシ」と。
ふと、思い出したのです。自分も昔は黒い服ばかり着ていたな、と。昼間よりは、夜の方が好きだったな、と。えっ、今ですか? 今は昼間も夜も大好きです。