風の言葉 – 46

閉じられた世界

……いつの頃からだろう? この世界が閉じられた世界だとわかってしまったのは……。
まるで、世界全体に何か見えない膜でも張ってあって、人間は、そこから先には進めなくなったみたいに感じる。

奇妙な事を言う、と君は思うだろうね。
あるいは、バカバカしいと一笑にふすかもしれない。

けれど……、ボクには確信めいた予感があったんだ。

1990年代の初め、アメリカのWBA(ワールド・ビジネス・オブ・アカデミー)の創設者ウィリス・ハーマンは、「これからの世界は、今までのようなゆるやかな変化ではなく、突然、直角に曲がる。そして、その先は誰にも見えない」と語った。

日本は、当時はまだバブルの中にあって、ニューパラダイム(ビジネスにおける新しい価値観の展開)思想がもてはやされていた頃だった。
お金もあって、ヒマをもてあましていた金持ちや社長達が、こぞって「自分探し」を“見えない世界”に求めた時代だった。
アメリカでは、女優のシャーリー・マクレーンが『アウト・オン・ア・リム』を発表して、「自分探し」を霊的世界とのチャネリングによって発見するという“スタイル”を流行らせていたから、日本の知的階層が興味を示さないはずはなかったんだ。

……だけど、誰も本気で、「世界は変わる」とは思っていなかったのだと思う。
霊的世界との関わりだって、あくまでも「遊び」の延長だった。

みんなは、「自分を変えてくれる」ものを待ってはいたけど、誰も自分から「変わろう」とはしなかったからね。

……でも、大きな変化が、いつも小さな変化の積み重ねで起きていくように、「兆し」はじつは起きていたんだ。
まず、映画やテレビドラマに、目新しいものが登場しなくなった。
過去に流行ったモノのリメイクばかりが目立つようになっていた。
ファッションも時代を先取りしたものというより、回顧的なモノのアレンジが多くなっていった。

まるで、文化と呼べるものが停滞、いや止まっているようだった。
コンピュータ・グラフィックスの発達やデザインの見せ方の変化で、新しく変わったように見えるモノはいっぱいあるけど、本質的には、20世紀のままのように思える。
アメリカ人気テレビシリーズ『Heroes』や『ハリー・ポッター』などのファンタジーにしても、主人公達が魔法や超能力は使えても、人間的な弱さや愚かさはちっとも変わらない。武器が、銃から超能力や魔法に変わっただけ。

それのどこが新しいんだろう?

……そして、ボクらは、閉じられた世界のガラスの壁の前で途方に暮れている。
その事に気づきもしないで……。


世界は確かに直角に曲がってしまったのさ。
壁を越えられた人間だけが、向こうの世界(こっちの世界だよ)に居る。

でも、悲しいかな。それが自覚できない。どうしてだと思う? 
ボクらは蟻のように二次元の平面を歩いているから。

直角を曲がっていても、二次元だと面にへばりついているから、自分がいつ曲がったのかさえも気づけない。
もし、鳥のように空から見ることができたなら、今までの世界とは完全に違っていることに気づけるだろうに。

では、他のみんなはどうしているの? どうして平気でいるんだろう?

ある意味で、彼らからは、ボクらが見えなくなったのさ。
だから、居ないのと同じなんだ。

閉じられた世界に居る人間の方が多いから、ボクらの存在感や価値が無いように思えるかもしれない。
けれど、閉じられた世界に未来はない。

遅かれ早かれ、その事に人間は気づいていく。その時、人はどう変わるのだろう? それでも、変わろうとはしないのだろうか……。
ボクらの居る世界。誰にも何にも縛られることのない「自由な世界」。
気づければ、最初は不安でも、すぐにラクに呼吸が出来るようになると思うよ。

あっ、そうそう……。聞くのを忘れていたけど、君はどっちに居る人なの?

直角に曲がったこっち側? それとも、閉じられた世界の人?



2009年3月20日 小春日和。
……ようやく春らしくなってきましたね。朝も早くから日が射すし、夕方6時でもまだ明るかったりします。
映画『ヤッターマン』と『ドラゴンボール』を観てきました。どちらもアニメの実写化です。ボク的には、深キョンのドロンジョ様が気に入っていたので『ヤッターマン』の方が面白かったけど、やっぱり「古い世界」を感じて仕方がなかったです。
世界は至る所で老人化しています。そろそろ種の限界なのかなあ……。