風の言葉 – 47

価値観ウォーズ

……ねえ、遠近法(Perspective)って知ってる?

そう。一枚の絵の中に近くと遠くを描き分けて、奥行きを見せる手法。
それって、世界にも通じるんだよ。

人は、どこまでも自分の尺度(価値観)で、人や世界を観ているからね。
そして、たいては、そのことにまったく気づいていない。

あの人は、こういう人だ。この会社はこうだ。この店の味はこうだ……。
……思い込み。そのうち、それが唯一正しい「答え」のように感じていく。

けれど、それは、あくまでもその人の尺度(価値観)による見方であって、他の人も同じとは限らない。
なのに、同じお店の味を誉める人がいたりすると、「あいつは、わかっている!」と、同じ価値観を持った人に出会えたと単純に喜んでしまう。

でも、その「おんなじ」は、微妙に一緒じゃない。時には、似ていて、非なるものだったりする。
世の中を見ている自分は、自分の尺度でしか観ていないことに気づいていないから、互いの「共通言語」は、互いの「錯覚」から生まれている事に気づけない。

そこから、恋愛や結婚に発展したりするでしょ。
長く付き合えば、当然、違いに気づいていく(気づけない人もいるけど)。
よく、途中からボタンが掛け違ってきたって言うけど、最初から、違っていたのかも。

「そんな人とは、思わなかったわ……」
じゃあ、互いに「どんな人」って思っていたの?

意地悪く聞こえたら、ゴメンよ(イジワルで言ってるんだけど……)。
自分の価値観を捨てよ、と言うのじゃないよ。その価値観は、普遍でもなければ、万国共通でもない。自分、正しくは今の自分が持っている、あるいは、囚われているモノにすぎないんだと認識する事が大事なんだ。

人は、どんな価値観を持つのも自由だけど、それは、どこまでも自分自身の価値観にすぎないことを知らないとね。
世界が幾つもあって、人も幾らでも居て、同じ人が、一人もいないなら、価値観はその数だけあるはずだから。


「恋愛は、美しい錯覚から始まる。」そんな事を言った詩人がいた。
逆説的に言えば、「錯覚」が無かったら、恋に発展しなかったかも。

自分を振り返れば、その真の意味がよく理解できるでしょ。
だけど、恋が冷めた時から「愛」が始まる。正確には、「愛の入口」に立つ、かな。


……人はそうやって成長していく。
価値観と価値観のぶつかりあいが、人を傷つけ、壊し、でも、同時に強くしていく。

「声の大きい者が勝ち」って言葉があるけど、誰かの価値観が、誰かの価値観に影響を与えていく。
もし、自分で作った価値観が、いつの間にか他人の価値観にすり替わっていたら、その人は、「自分の目」を失うことになる。
それは、自分の価値観に縛られているよりも、怖いことかも。

人は、たいがい自信が無いから、「断定」する人に弱い。
「これは、こうだ!」と言われると、
聞いた人は、「ふうん、そうなのか……」と思い、いつの間にか自分もそう思うようになる。

その規模を大きくしたのが、マスコミでしょ。
雑誌やテレビで、「今の旬は、絶対これ!」とか言われると、多くの人がワッと飛びつく。
行列のできる店に並んでいる人の何割かは、自分が並んでいる店が、何の店なのかさえわかっていなかったりする。
「えっ、ここってトンカツ屋さんやったん? パスタ食べに来たんやけど……」

一つ、ミリオネアクイズ!
「賢い大人」と「バカな大人」の違いってわかる?

「……えーっと、えーっと、賢い大人は、頭のいい人。バカな大人は、おバカな人」
「ファイナル・アンサー?」
「…………」


賢い大人はね、人と自分が違うことを理解している。そして、寂しい感情も持っている。
バカな大人は、みんな一緒なんだと勝手に思い込んで涙したりする。

では、「賢い子ども」って何だろう?

……人と自分の違いを認め、なお、人を受け入れられる存在。

私たちは、いったいどれだろうね……。


2009年4月1日 晴れのち曇り。
……櫻が一斉に咲き始めました。いろんな処で「お花見」が企画されているみたいです。
ボクは、ようやく自分が「誰」なのかが、最近わかってきました。それは、「誰ではないのか」という意味でもあります。
みんな、結局は、「自分」になっていくしかないんですね。
……今度、花見に行って、お団子と純米酒を飲もうかな。独りでね。