風の言葉 – 49

昨日の敵は、今日も敵
…たとえば、あなたの職場で、“敵”と呼べるような人がいると仮定してみよう。
その人は同僚で、あなたのやることなすこと気にくわないのか、文句をつけたり、明らかなイヤがらせをしてくる。
「ウンウン、いるいる」って声が聞こえそうだけど……。
あなたにしたら、とんでもなく不愉快で、腹立たしいことだろうね。
周りの人間は、あなたに同情して味方に付いてくれたり、あるいは、相手に同調して付いたりして、その対立は大きくなるばかり。
気がつかないうちに、“派閥”のようなものが出来上がったりしている。
ところが、あるとき、上司がやってくる。これがまたとんでもなくイヤな奴で、あなたにも、あなたと対立していた相手にも、「クビにするぞ!」って恫喝を込めた“イジメ”をしてくる。
「この無能! 月給ドロボウ!」と大声でののしられ、あなたの自尊心も立場も見事に踏みにじってくれる。
そのあなたをニヤニヤとして見つめる者は誰もいない。
なぜなら、あなたと対立していた同僚も同じように、ののしられ、侮辱(ぶじょく)されているからだ。
さあ、もうガマンの限界だ! どうする? さあ、どーする?
そこで、あなたと対立していた同僚は、一時休戦という感じで手を結ぶ。
二人で力を合わして、「共通の敵」である上司に戦いを挑んでいく。
今まで、互いの足の引っ張り合いをしていたけれど、一緒に仕事をし、上司の鼻をあかしてやるんだ!
そうして、いつしか、あなたと同僚との間にあった“反発していた壁”は取り除かれ、互いに理解し、信頼し合える“仲間”になっていく。
時には、誰よりも良き友人となったりもする。
上司は、あなたたち連合軍の猛攻に「参った!」と唸って、降参する。
メデタシ、メデタシ!
……これが、「昨日の敵は、今日の友」の法則だよ。
よーく見てごらん。世界はこのパターンで動いているから。
ヤンキー同士のケンカを描いた映画『クローズ』だって、呉と蜀が手を結んで、魏と赤壁で戦った『レッド・クリフ』だって、皆、もともとは対立していた者同士が、自分たちよりも強大な敵が現れたことで、手を結んで戦うものばかり。
この世界の縮図は、ご近所のお付き合い、学校のクラスの中、小さな職場から、世界的規模の問題まで、「対立」と「共通の敵」という図式で幾つも当てはまる。
結局、どういう形を変えても「戦い」は消えないのか。
もし、共通の敵がいなくなれば、その時はまた互いに争い合うのだろうね。
過去の歴史がそれを証明しているから。
……でもね、その時、上司が、“イヤな奴”の仮面を脱ぎ捨てて、「君たちが力を一つに合わせるのを待っていたんだ!」と言ったら、どうなるんだろうね。
良い人だったんだね。敢えて悪者になることで、団結を誘ったんだね。
その時、人々の反応はどうだろう。
「そうか! 私たちの為に!」って、感激するのだろうか? 「ふざけんじゃねえ!」って、さらに怒りをぶつけるのだろうか?
さて、あなたなら、どうする?
『2001年宇宙の旅』の原作を書いたSF作家のアーサーCクラークの小説に、『地球幼年期の終わり』っていう物語がある。
ある日、世界各国の首都の上空に、信じられないほど巨大な宇宙船が現れる。
人類はびっくりして、呼びかけるが応答なし。やがて、恐怖に駆られた軍隊の攻撃が始まる。
けれども、どんな武器も通用しない。最新鋭のミサイルでも、宇宙船に傷一つつけられない。
だが、宇宙船は反撃をしてこない。それどころか沈黙したまま。まるで、人間の戦闘機を蚊か虫ケラのように感じているかのように……。
そして、50年以上の歳月が流れた。宇宙船は、都市の上空に静止したまま。いつしか人々は、そらに宇宙船があることに慣れっこになってしまう。
ある日……。
宇宙船に扉が現れて、中から搭乗者が姿を現す。それは、ラファエルと名乗った。人々が聖書で知る天使の名前。けれど、その姿は、悪魔の姿そのものだった……。
『地球幼年期の終わり』は、ペシミスト(悲観主義者)だったアーサーCクラークらしく、シニカル(皮肉)に満ちている。
宇宙船から姿を現した悪魔のラファエルは、静かで哲学的な知性を秘めた存在として描かれている。彼らは、人類の「進化」を待って現れた存在だった。
恐ろしい姿ゆえに、人類が誤解をしたり、恐怖しないように、50年という時間をかけて待っていた。
人類が「恐怖」ゆえに戦ってきたことを、見た目に左右される人間の愚かさ、開示される「真実」の不確かさを、著者は敢えて宇宙人に恐ろしい悪魔の姿を取らせることで表現したかったのかもしれない。
2009年5月2日 日本晴れ。
映画『ウォッチメン』を観てきました。
1970年代、アメリカがベトナム戦争に参加した頃のニクソン政権化のお話で、アメリカにはさまざまなスーパーヒーローが実在し、ベトナム戦争を終わらせたのもスーパーヒーローの活躍によるものだったという設定の映画でした。もともとは、50年代にヒットしたマーベルコミックの映画化だとか。ウォッチメンとは、歴史を見守る者、あるいは、社会の監視者という意味らしいです。
映画は、一人のスーパーヒーローが殺された事件から、物語が始まっていくのですが、その映画でも、戦争を終わらせるために、戦いを使う、という図式が描かれていました。
昔、宇宙戦艦ヤマトというアニメが流行って、「愛の為に戦う!」「愛する人を守る為に戦う!」「戦いを終わらせるために、戦う!」というスローガンが世界に溢れました。当時、ヤマトのキャラクターやテーマソングは自衛隊や右翼の活動にも使われましたね。覚えていますか?
「戦いを否定する戦い」とは、なんとも矛盾に満ちていますが、世界は今もそのフィールドにはまったままです。だから、「決して戦わない」映画や小説が書かれないし、ヒットもしないのでしょうね。
人間の思考と自我は、「愛」の本質を理解できないのですね。かつてのムー大陸にも7人のスーパーヒーローのような超能力を持った者がいたそうですが、人間を超えられない“超人”だった為に、戦いのフィールドの中でしか思考できないで、ムーは沈んじゃったと聞きました。
……『ヒミコ伝』は、人間には決して書けない物語ですね! と言った方がいます。ちょっと複雑かな。
命がけで戦争を止めようとしたヒミコは、実在で、その想いの遺伝子は、私たち日本人に受け継がれているのに、私たちはなかなか目覚められません。
そうこうしているうちに、次の5月5日の節句が迫ってきました。
聞くところでは、3月3日の時よりも、霊化に対して50万倍もの加速を促す強いエネルギーが、地球の内部からあふれ出すそうです。権威をもって、人々に依存や自我を強要してきたものが自己崩壊していくとか。皆さま、お気をつけられた方がよろしくてよ(お蝶夫人)。人間の肉体の細胞レベルまで振動が変化するそうですから、私たちは、いよいよ自ら「変わる」時期でもあるのだと思います。
まだまだ間に合いますよ……、テヘッ。