風の言葉 – 51

……神と悪魔って…… 豆シバぁー2!

……ねえ、知ってるぅ? 
現在、世界人口は69億9156万5299人もいるんだって(2009年6月7日時点)。
その7分の3、約20億人がキリスト教徒で、残り50億のうちイスラム教徒が12億人、仏教徒は4億人なんだって。
でね、でね……、インドのヒンドゥー教徒や中国の道教徒も8億人くらいはいるって言うし、ユダヤ教徒も数は多い。他にもジャイナ教、マニ教、先住民の宗教などいっぱいあるよ。神道系は日本だけだけど、その中でも幾つにも枝分かれしている。
つまり、世界人口の約9割の人間が何らかの宗教に関わっていることになるんだよ。すごいねー。

もう一つおまけに歴史的に見るとね、仏教の発生は紀元前5世紀、約2500年前にお釈迦様から。キリスト教は紀元後すぐ、イスラム教は比較的新しくて7世紀頃に成立しているんだって。ユダヤ教やゾロアスター教はもっとずっと古いけど……。

それとね、『旧約聖書』はユダヤ教の神エホバと呼ばれる絶対神への信仰を説く聖典だけど、イスラムの神アラーもそこから発生しているんだって(イスラム教徒も『旧約聖書』を第二の聖典としているよ)。
エジプトの太陽神ラーも存在としては同じ。日本の神道では天御中主尊(あめのみなかぬし)がそれに当たるのかな。皆、性別のない独り神なんだって。

ところで、人は神の御名において、人を殺(あや)めてきたよね。
街を人を動物を植物を、ありとあらゆる生命を神の名を語った戦争で滅ぼしてきたんだよ。コワイねー。
異教徒同士が殺し合ったこともあるけれど、同じ神さまを信じる人たちが、教義の違いで争い、滅ぼし合ったことも多々あったんだよ。

……ねえ、知ってるぅ? 
宗教って、教えは少しずつ違っても、同じ道、みんな神さまに向かっていくことなんだよね。
その神さまは、人類の歴史が始まる前から居て、一度も「殺せ!」なんて言葉を発したこともないのに、御神託を告げる人間の口から「敵」とか「やっつけろ!」という言葉が出るなんて、とってもおかしいと思うんだよね。
通訳の人が、自分勝手に話しているようなもんじゃない?
宗教の教祖や指導者は、神さまにもっとも近い人なんでしょう。神のごとき御人なのでしょう。


……もし、それぞれの宗教の神さまが、ある時、光り輝く姿で人々の前に降臨したらどうなるんだろうね。すべての人が肉眼で見えたら。目の見えない人にも、まぶたを閉じている人にもその姿が見えたら……。

現れた神さまは、それはもう神々しくて、その光の波動はビリビリと肌を通して伝わってくるほど強く、同時に心が洗われるほど清らかで、接しているだけで涙が溢れてくるような存在だったら? そして、その神々の口から直接、人々の耳と脳の中に言葉が聞こえてきたら……。

「すべての争いをやめてください。今すぐ戦争を中止してください。今まで争っていた人たちと和解し、愛し合うのです。あなたたちは互いに血を分けた兄弟なのですから。宗派という枠を超えて、すべての人の信仰を、自由を認めてください。そして、宗教に関わる者たちは、権威的なものを放棄し、階級や差別や偏見を作る組織的なものを今すぐに解体しなさい。神殿も教会も捨てて、心の中に聖なる?(やしろ)を造りなさい」
と、告げたら、教祖様を含め、信者の人々はどうするんだろうね。

現れた神さまに、教祖様や教団のトップの人たちは感謝して、お告げ通りに実行するのでしょうか? 信者さん達に、「神さまの言葉通りに」と呼びかけるのでしょうか? 組織や人々の中には、今まで自分が信じてきた「教え」と違うことに戸惑う人がいるかもしれないね。
それでも、自分が信じた宗派の最高神が現れて告げるんだから、信じなくっちゃね。
何よりも、その神々は「愛」しか説かないし、一切の「争い」を止めなさいとしか言ってないんだもの。神罰も下さないし、業火で焼くよと脅すこともない。それどころか、「もう苦しまないでいいんだよ。自分自身を解放してごらん」とだけ告げてくれるんだもの。

でも、中には「神である証拠を見せろ!」とか、「奇跡を見せろ!」と疑う人たちもいるのかしら?
その人たちの言う「奇跡」は、幾つ見せれば信じるんだろうね。納得いくまで見せても、「まだまだ」と否定するのかも。

そして、もしかしたら、「あれは神さまではない! 私たちを惑わし、危険に貶(おとし)める悪魔だ!」とまで言い切っちゃう教祖様だっているかもしれないね。
教祖様のお仕事は、神さまと人とを繋ぐことでしょう。では、本当の神さまをキャッチできなかったら、その存在には意味があるの?
神さまと教祖様、さて、人々はどっちを信じるのだろう……?


……ねえ、知ってるぅ? 
人間は、いつも自分に都合の良いものを歓迎してきたんだよ。
神さまへの「お願い」だって、自分の為のものばかり。自分の願いを何でも聞いてくれるのは、「良い神さま」。自分の生き方を否定するのは、「悪魔」。
互いに争わせて、戦争に駆り立てるのが「悪魔」じゃないんだよね。自分たちの利益に繋がれば、戦いを進めるものは「神さま」になっちゃう。

でも、自分に都合の悪いことでも、「正しい」と思えることってあるでしょ。
それを実行することが「勇気」なんだよね。
そして、その勇気を支えてくれるのが、「愛」なんだ。

その「愛」を説く神さまが現実に目の前に現れたら、それでも、人は尻込みするんだろうか? 
それとも、見ないようにして、みんなで無視するのだろうか?
「居なかったことに、見なかったことにしましょう」と口を揃えて。
そして、今まで通りの「教え」の中で、変わらず異教の者を攻撃し、恐れ、憎み続けるんだろうか?

その時、人は、何に祈ってるんだろう……。


2009年6月8日 曇り。
ふと気がつくと、「争う」映画やマンガばかりが溢れている。
「平和を守るために、愛する人を護るために、戦う」事が描かれている。
ポケモンやドラえもんみたいな、子ども達のアニメにまで「バトル」が充満している。
戦って傷つき、その中から育っていく「愛」と「友情」が説かれている。
でも、現実には、憎しみと悲しみの連鎖が続いていくだけ。
「これって、おかしくない?」と誰も思わないんだろうか?
いつから、私たちは、日常に「戦争」を溢れさせて、平気になってしまったんだろう……。