風の言葉 – 54

ゴッコちゃん……

ねえ、ねえ、ゴッコちゃんって知ってる?

昔、よく、○○ゴッコってしたでしょ。
ヒーロー戦隊ゴッコとか、おままごと、とか、いわゆるマネごとです。
(お医者さんゴッコ?! もちろん、いたしましたとも!ええ!)

ゴッコは、もちろん本物じゃありませんから当たり前に決まっているのですが、マネごとの中には、本当になったら尻込みしてしまうものって、結構多いんです。
例えば、レスキュー隊ゴッコなんて憧れたりしますけど、実際に火事の現場にいたら、とても飛び込んでなんかいけないでしょ。

だから、決して本気にはならない、あくまでもマネごとで満足している人たちのことを「ゴッコちゃん」と言うんです。

ゴッコちゃん、世の中にはいろいろいますね。
恋愛ゴッコ、自分を変えたいゴッコ、本物を求めるゴッコ……。

[恋愛ゴッコ]は、恋愛のプロセスだけを楽しんだり、ドラマティックな展開に刺激を求めて現実逃避したり、「愛してる」「好きです」とかの言葉に自分で酔ったりと、ゴッコをしている人もそれに巻き込まれたりする人も共にハタ迷惑な存在。

[自分を変えたいゴッコ]の人は、「私、今度こそ、本当に変わりたいのです。ていうか、自分を変えないともうダメなんです!」と強い口調で言うんだけど、そのくせ、具体的には何もしようとはしない。そして、本当には「自分から変えたい」とは思っていない。誰かが、または、外の環境が自分を変えてくれるのを待っている。そのくせ、いざ、自分が変わらなければならない場面になると、そこから逃げ出してしまうのです。
……まあ、仕方がないですね。だって、「変わりたい」という人は、自分で「変わらない」事を前提に言っているのですから。

そして、[本物を求めるゴッコ]の人は、もっとたくさんいます。
本当の事を知りたい、本物に出会いたい、真面目に考えてはいるのです。けれども、「本物に出会ってしまったら、自分が変わらずにはいられなくなる」だから、本物に見える(ほとんどは、本物にさえ見えませんが、トホホです)ニセモノには安心して近づいていくのです。
「神さまに出会いたい!」と思いながら、神とはほど遠いインチキな宗教家や精神世界のセミナーにハマってしまう人も同じなのかもしれません。

そういう人は、たとえ本物に出会えても(まあ、たいていは逢えないのですが……、なぜなら、類は友を呼ぶごとく、自分の周波数が精妙にならないと本物には近づけませんから。けれど、時折、本物の方からあなたを助けるために近づいてきてくれることはありますよ)、気がつかないか、必死で「見なかったこと」「聞かなかったこと」にしたがりします。つまり、無視するのですね。
理由は、“怖いから”です。
何が? 自分が変わらざるを得なくなるから、ですよ。
ゴッコちゃんですから、雰囲気だけは欲しいのですね。だから、自我の強い人や場所を次々に渡り歩いたりするんです。


……まあ、でも、僕は、「ゴッコちゃん」でいられるのなら、その人はいればいいのだと思い始めています。
本人の自由意思と選択ですから。
それが、どのくらい、そのままでいられるのかは知らないけれど……。
全国のゴッコちゃん、頑張ってください。応援はしませんが。


2009年8月19日 曇りのち晴れ。
ゴッコちゃんと聞いて、SF作家、星新一さんのショートショート『ボッコちゃん』を思い出した人もいるかも。
ボッコちゃんは、バーのマスターが売り上げ倍増計画の為に造り出した女性型ロボット。ボッコちゃんは、オウム返しの会話しかできないけれど、人々は勝手に“錯覚”と“勘違い”をしながら、お店は繁盛していく。けれど、最後にとんでもない勘違いの果てに……。まあ、本で読んでください。

陰と陽の理のごとく、7月7日に起きた変化は、8月に具体的に社会に現れます。
と、書きましたが、本当にいろいろと起こっていますね。東海大地震の兆しとか、新型インフルエンザが猛威を奮い出したとか、嬉しくないことばかりですが。
それでも、額の第三の目の覚醒は進んでいます。その影響で、肉眼で見えなかったものが見え始めたり、目を閉じても見えたり、聞こえるはずのない空間の振動が音として聞こえたり……。僕の周りにもそういう人がいっぱい現れています。
「私、目がおかしくなったのかしら? 先生が光って見えるんです」
「……それは、美しい錯覚ですよ」